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東西南北・東南西北

和桜20銭縞のお話を続けます。Lot30170の再接ペアには、私が密接に絡んでいますし、当初のディールでは私しか知らないネタが一杯有るのです。アイホン君の記事のHerbert Goldsmithの名前は、日本人で知っているのは私とキタゾノ君だけでしょう。アイホン君の記事の詳細は、私が嘗てどこかに書いた物を引っ張って来ていますが、大急ぎのやっつけ仕事の為、事実関係が錯綜しており正しくないことが一杯なのです。登場人物の固有名詞は合っていますが、登場シーンと数字が出鱈目なのです。【東西南北】と書くべきところを【東南西北】と書いてしまっています。今回のセールの結果には影響は無いのでしょうが、書籍に開示された情報が、国際切手展の作品に子引き、孫引きされて、私の名前が間違って引用されるのは気分が悪いので、ここで修正しておきます。正誤表でなく、ゼロから決定版を書いて行きましょう。老婆心ながら、この切手だけでなく他の物の詳細に関しても、アイホン君はよく勉強をしているのですが、情報の処理に関しては、大昔から物凄くルーズなので、引用する場合には慎重さが必要なのです。このセールのデータは、確定版でなく一つの参考の情報だと思って扱って欲しいのです。一例をあげれば、止むを得ないケースなのですが、1銭ブッチの田型は存在が5になっていますが、去年私がバラ4枚にして潰しましたし、その前にもユキオスタンプさんが同じ事をやっています。もう1点もオンセール状態です。どんな物でも、世に知られずに形を変えて動いても誰もトレース出来ないと思います。私が知っていることだけでも、まともに正誤表を出すならば、500文逆刷の別冊以上のボリュームになってしまうでしょう。

本筋に戻りますが、20銭縞のペアが我々の元に来たのは、下側切手=Pos32が最初でした。ユキ・(カネコ)・長谷川さんのサンフィラUSAが東京に来た時に、山崎君にプライベートで売られました。私が持っている情報の、1989年で間違いは無いと思いますが、値段は300万位だったと聞きました。この頃の彼女が扱ったもので、ちょっと不似合いかなと思えるものが結構有ったのです。今回のセールの和桜20銭イ 墨点 白抜十字の後消しは、鯉江君が安く(言葉を変えれば、適価で)買っています。残念ながら私にはプライベートのお声が掛からなかったのですが、この時のオークションでは良い物を落しました。旧小判3銭木綿紙11N 未使用です。場に行った時に、秋元信二郎さんと話をして、要るでしょう?降りましょうか?と聞いたのですが、『紙が違うだろう、要らない』のご返事だったので、遠慮なく最低値の一声上で買いました。安いけれど、1000ドル位の評価なので、元の持ち主は少なくとも目打は判るコレクターだったのです。木綿紙は公式には未発表ですが雰囲気は良かったので、飛び込んで買ったのですが、売る時には連合の鑑定書を取りました。プライベートで売って、物が表に出た時点で、田畑君が貴重な情報を見つけたのです。【ウッドワード】の本に出ている現物だったのです。一気に格が上がりましたし、関連しての情報の捜索が出来るようになったのです。

このヒントを貰えれば、私の出番になるのです。ユキさんが手にした珠玉のお宝の素性が割れたのです。20銭縞のN1B1 東京も20銭イの墨点・後消しも3銭木綿紙11Nも大元の出所は同じでしょう、トレーシー・ウッドワードだと思います。彼からカナダの著名なコレクター、ブラッドショウに流れて、次いでカナダ在住の日系の弁護士、エドモンド・バンノ氏のご遺族からユキさんに来た物だと思います。バンノ弁護士は代は変わっていますが、今も同じ職に就かれているはずです。因みに、エドモンド氏は、番野一臣さんの実の叔父(或は伯父)さんです。番野さんに聞いたら、カナダに泊まりに行ったけど、切手の話は出なかったと言ってました。私が88,000ドルで買ったというのは、100%ガセネタです。また山崎君が16,611,000円でJAPEXで売ったというのも間違いです。他の物と混同していると思います。過去は兎も角として、私が関われたもので、取引値で1000万を軽~く超えるのは【秋田調】の2枚だけだと思います。

私にすれば、山崎君が安く買ったPos32の存在が記憶に有ったので、もう一枚のPos24に反応出来たのです。ペアにしての大儲け、二人での山分けを夢見ました。Hamburg  Kleine Reichenstrasse 1-ⅤのSchwanke & Shonセール、赤い表紙のA5版で隔月程度のペースでやっていた、小さいオークションハウスです。200回記念セールで表紙に20銭縞が出ていました。フロアセールは1991年で間違いないと思います。カタログを見て、消印とPosを確認して、ペアになることが分かりました。国内で調整したか、何も無しでやったかは覚えていないのですがそれは些事でしょう。ユーロ導入前なので、参考値は5万マルク=400万位だった気がします。山崎君にペアにしようぜ、の連絡をしたのかな。ここのセールのフロアには何度か出たことが有って、競りの流れは分かっています。小学校の教室みたいな風情で、長テーブルと木の椅子です。コールはドイツ語、ファーストコールは、エスティメイトでスタートして、ノービッドならビッダーが声を出してリクエスト、1割引き位ならOKだと分かっていたのです。20銭縞のメールはノービッドと読んでいました。だから45000マルクのコールを掛けようと最前列に座って、ドイツ語を反芻していたのです。予想通りの50000スタートで、値切りの発句をしようとしたら、場で手が挙がったのです。若いドイツ人、一体誰だ?状態でした。コレクターだとは思いません。エージェントか、スポットの代理人なのかな、数声読んで落札、許容範囲に収まりました。終わった後にアンダービッダー(最後まで競って降りた)のお兄さんに声掛けしたのですが返事なしで逃げられました。ドイツの若い子というと、ブレーメンの高校生=アンドレ・ローランの友達がいるのですが、見知った彼とは別人でした。

出品者は会場の最後部に座っていた、ドイツ系のイギリス人、Herbert Goldsmithでした。1984年にイギリスのオークションで掘出して抱えていたと聞きました。20銭縞を掘り出したもう一人のイギリス人(亡命墺太利人)のR & S Schapiraは、猜疑心が服を着ている風情で、付き合い方が滅茶苦茶難しかったのですが最後の最後に大きいビジネスをやりました。G・S氏の方は、ロンドンのBishopsgate のCity of London Philatelic Auctionへの有力な出品者としての間接的な接点しか有りませんでした。ここはマンスリーでやっていて、古~い全世界のアルバムを国別にバラシて売るのがメインでした。アルバムのブランドで狙う価値が有るのは、IdealかLincoln、多分この2社の場合、19世紀で終わっているメーカーかと思います。だから内容に魅力が有るのです。海外のオークションで日本切手の彫り出しが期待できるのはこの老舗の2社で有り、ライトハウスにスコット、ギボンズ、ダーボなら殆ど面白味は有りません。ロンドンに4大オークション=ロブソンロー・ギボンズ・ハーマー・フィリップスが有った時は、ここで大きいコレクションを買って、City of Londonでバラの小ロットで売るのがビジネスモデルとして成立していたのです。ロンドンを訪れた日本人の郵趣家をキタゾノ君が良く案内してあげていましたよ。必ず日本の初な物が出るので、スポットの旅行者でもイギリスのオークションでの掘出しの源流を体験できたのです。多くの人が楽しめたオークションハウスでした。普段は殆どが写真無での、場で見てよ・・のスタンスの編集なのですが、年に2回例外が有るのです。Goldsmithは手彫が結構判ります。4大オークション他で買った手彫の良品を、1年に2回、City of  London に出していました。この時だけ写真版2ページに手彫の光輝く物が並ぶのです。このオークションでは掃きだめに鶴なので、彼の手彫を見た瞬間はギョッとしたし、大いに燃えたのです。City・・はとうの昔に無くなっていますし、Schwankeも何時しかオークション誌を送って来なくなりました。Schwankeの20銭縞ですが、Goldsmithはこの2社に深くかかわっていたのです。親戚か何かだと思います。だから200回の記念セールの目玉に出品してあげたのでしょう。もう30年も経ったのかと反芻すれば不思議な気分になるのです。時代はすっかり変わりましたから。

1991年の国際展に4社合同オークションが有ったのです。編集は私が全部やりました。再接ペアは目玉として3000万で出しました。私と山崎君の買い値からして、ちょっと欲張りなのですが、お祭りの目玉なので、話題になれば良いのです。それなりに反応も有ったのですが、残念ながら不落札になりました。旧に復してペアが2枚の単片に分かれたのです。私の物は白井二実さんが買ってくれて、山崎君の方は一度売って、戻って来て、又別の人に売ったと聞きました。取引の値段は野暮なので書きません。時を経て。何時しか合体して、面妖な場所に現れました。テレビの『何でも鑑定団』のやらせ出演と、売る気の無い『ヤフオク』出品です。更に時を経て、ペアとしての安住の地を信州に見つけたと、ある意味安堵していたのですが、又も目途の無い旅に出て行きました。Feldmanの画像よりも現物は綺麗だと思います。でも、118年も泣き別れだったのでペアというには色の違いが微妙です。4社合同オークションでの私の書いた記事を載せて置きましょう。アイホン君のそれよりもセンスは良いと思います。オークションの記事には華美な修飾語は要らないというのが私のポリシーです。30年前も、今も全く変化はしていません。

20230531

他の大物も含めて、今回のビッグなセール、私としても大いに楽しみたいと思っています。セールの予想は書けませんが、終わった後に結果を見て、裏話を書いてもいい物かどうか思案している物も少なくないのです。David Feldmanとスタンぺディアさんの【共催】のセールですが、ちょっと言葉の使い方がどうかと思うのです。東京での現物の下見が無理なのは分かります。でも、海外のオークションへのビッドが初めての人の参加を誘引するのが主眼でしょう。ならば、その人たちのストレスと不安を除去するのが【共催】社の義務だと思います。今のままなら、単なるプロモ―ション協力に過ぎないと思うのです。同封されたビッドシートでメールビッドをどうぞ、後の取引はご自分がやって下さいなら、オークションを標榜していて、取引の機会は提供しても責任は一切取らない、ヤフオクの場所貸しビジネスと同じでしょう。このままだと、海外取引に通じてない人が何人も泣くことになると危惧しています。だから私が出来る範囲で助け舟を出しましょう。キーワードは、HSコードとAEO、通関に絡む公式用語のイニシャルです。この件も含めて、直近の『ビジュアル日専』産業・動植物国宝編に、郵趣に絡む法律案件を書いています。郵便法の憲法17条違反、郵摸の東芝ゼロ円の不起訴、郵便法での切手の使用制限・・他です。特にFedEXのAEOの解説はもろに今回のスイスのオークションの最後の締めで大いに役に立つと思います。次回に詳報いたします。私の長年の経験で何が起きるかが見えているし、それを防ぐことも出来るのです。無駄な税金は払う必要は無いのです。

 

21+1ー1=21

20銭縞の一覧表を最新の情報に置き換えて分析して見たのです。博物館物に関しては、書けるネタは皆無です。物は抜群に良い物でしょうが、ワクワクする息吹を最早発する事は無いのです。私自身が接する事が出来た、イギリス在住の3人が皆英国系のオークションハウスで掘出しをしています。④ゴールドスミス、⑥シャピラ、⑦ゴールドスミス、㉒某ディーラー。何れもがギボンズとロブソンロー系(一部はスイスで開催)のJAPANのロットからの掘出しです。昔のイギリスには古~いアルバムが馬鹿ほど有って、毎月のように多くのオークションハウスに、国毎に千切られて出品されていたのです。古き良き時代の大英帝国には幸が埋まっていたのです。20銭縞が判る連中なら、手彫の真偽も分かるし、竜の版別も出来るでしょう。面白いように掘出しできたと思います。キタゾノ君がロンドンに行く前に於いてはですが。➉は私で、オランダでの10頁程のリーフでした。旧韓の梨花と鷹の未使用のセットで元が取れました。本当に巧まぬ偶然なのですが、これらは時を経て色んなパターンでその全てを私が扱う事になったのです。もうこの辺で打ち止めで良いのかなと思っています。プラーベートでまともな相手から買って、それなりの利ザヤをオンしてのプラーベートディールは、余程の幸運に恵まれていないと出来ないし、冴えてないと無理なのです。今は自信が有りません。

この切手では、ディールでは縁が無かった物に対しても、それなりに関連情報を聞かされていましたが、1点だけブラックボックスに入っていた物が有りました。⑬のKG羽後久保田 3割消しです。タカハシスタンプに出たことだけは、トレースできたのですが、売れたかどうかも、落札者に関しても杳として分かりませんでした。ところが今回の記事を書こうとして、薄っすらとした情報を思い出しました。反芻すれば、当たりだと思えて来たのです。

数年前に秋田の会員さんから電話を貰いました。不幸な事件に関りがあるかもしれないエンタが、マーケットに出回っている。知っていることが有れば教えて欲しい・・です。秋田市内でお独り住まいの男性が、自宅兼事業所で亡くなられ、金目の物が盗まれて警察沙汰になっている・・。地元印の収集家としても名が通っていて、この人の物と思しきエンタが弊社に出品されているというご趣旨でした。調べましたが、ご出品のルートからは繋がりの可能性は見出せず、多分勘違いだろうで終わったのです。その際に話題になったのが20銭縞の久保田消しです。故人がお持ちで、JPS秋田支部の切手展に展示されたというお話でした。この時は、私は何らの情報を持っておらず、まさか?松田印刷では?みたいな受け止め方をしたのです。

でも、祖父江ノートの図版を見て、認識が変わりました。切手自体の状態は判りません。消印は⓷ですが、総合的な情報で、KG羽後久保田と判断して間違い有りません。でも手彫のコレクターはコレクションに入れたくは無いでしょう。値段にも依りますが、地元印のコレクターなら大珍品、ご自慢の逸品の地位に置けるものなのです。故人は、羽後の消印の大家です。弊社のオークションでも、私が覚えている位の強気のビッドをしてくれていました。いつしか縁が切れ、音沙汰も無くなりましたが、こんな哀しい事情が有ったとは始めて知ったのです。私のアンテナにかからなかった、20銭縞のKG久保田、この方のコレクションの目玉になっていたような気がします。羽後の消印コレクションは、少なくとも私の手の届く所には出て来ていないと思います。切手のアルバムは、金にならないと思われて、泥棒さんにも見向きもされなかったのでしょうか。祖父江ノートの最後の㉒を増やせたのは昨年でした。同時に私の記憶のデータベースからは⑬が消えたのです。これが表題の計算式の理由です。

祖父江ノートを再検証

David Feldmanからは、豪華装丁で、500文逆刷の別冊も含めて2冊、ほぼ同じタイミングで、スタンペディアオークションからも、同一内容の手彫のオークション誌が届きました。こちらはホンチャンのカタログと同じPDFを元にして、プリントパックでの印刷でしょう。無線綴じのページ制限が164なので、必然的に2分冊になのです。ディスクライバーはアイホン君なので、突っ込みどころ満載のカタログです。じっくりと楽しませてもらいましょう。このセールに関しては私はノータッチなのですが、前所有者が超現役のコレクターなので当然ながらお付き合いも有りますし、このセールのマテリアルに関して知り過ぎていることも多いのです。書けるネタは一杯有るのですが、慎重に筆を進めて行きましょう。このセールのエスティメイトの設定は、大物に関しては前所有者の買い値のメモを参考にして、現所有者が決めたのかなと思います。一般の物のロッティングは記事も含めて、アイホン君の世界観でやりたい放題でやっているのでしょう。彼の場合、エンタのルートとレートは誰よりも分かるのですが、トラッドの切手そのものでは、売買という意味での修羅場を踏んでいないので大甘だと思います。だからオークションとすれば面白いのですが。

オークション誌の記事と言う視点では、読んでいてウザく感じてしまう所が多いのです。余計な事を書きすぎですし、目に付くのが、現存何点という記載です。国際切手展へのコレクションの記載として推奨されているらしいのですが、私は極めて否定的です。極一部の例外を除いては、日本切手では定量で数を示す程の情報網は整備されていないのです。だから現存数など分かる訳が無いのです。一生懸命、文献を漁っても、完璧にトレースできるものでは有りません。今回のカタログでも、書き十の未使用5枚、使用済1ダースは酷い表現です。山田祐司コレクションの記載を引っ張って来ていますが、割と普通に数えても、未使用は11枚、使用済は少なくとも30枚、恐らくは50枚以上は有るでしょう。存在数の単純計算でも15銭ロの2版分=80Pos分の1なので推して知るべしなのですよ。和紙墨六の未使用のカナ毎の枚数は、山崎氏のデータを使っていますが、比較的最近に、私一人が扱った物でデータから漏れているのは、レアシラビックのカナ混合で6~7枚は増えてしまいます。現存何枚とはこの程度の物なのです。それに定量の存在数は値段には全くリンクいたしません。定量の存在数の少なさよりも、該当品のルックスの方が値段への影響力は絶大なのです。高い切手のオフセンターは、リーフに貼った見栄えが悪く、第3者が貶す格好のネタになるのです。値段が下がるのでなく、集める対象から排斥されるのです。

本題に移ります。和桜20銭縞なのです。今回のコレクションもそうですが、最近の切手展の作品で必ず引用される数字が、存在21枚です。珍品としての枚数としての多寡を云々するのは野暮ですが、皆さんどこで情報を得ているのかなが気になったのです。局別の数字も誰もが同じタッチで書かれていると思います。しっかりした元ネタが有るのでしょう。推測ですが、私も少し協力した、祖父江義信さんの一覧表かなと思います。画像付きで、データが余すことなくリストアップされています。作製当時とすれば特に所有者名は完璧だったのですが、ここに来て結構動いている物が多いのです。総数21枚、その内博物館物が5枚なので、マーケットに有るのは16枚です。この切手には私は昔から何故か縁が有って、矢鱈と扱っているのです。掘出しが1枚、オークションでもろに落札した物が1枚、実質的にプライベートディールが7枚、もう1枚も次のJAPEXセールに出品することが確定しています。私如きが一人で市場或る物の過半数超の10枚も扱えるのですから、存在数21枚は眉に唾して数えねばなりません。ここではオリジナルの祖父江ノートを元にして、私が持っている最新のデータを書いて置きましょう。データは書籍等に発表されている物は、所有者名を書きますが、画像は種々事情を鑑み、ノーガードで引用する事は出来ません。番号は祖父江番号で、★は私がディーラーとして扱った物で、一部はコメントを付けました。

①②ペア N1B1東京7.6.13 有馬切手文化博物館

③    N1B1東京 不鮮明 三井文庫

④⑤再接ペア N1B1東京7.6.13 今回の出品物 書けるネタが一杯有り過ぎるので、別項目で書きます。④★

⑥    N1B1/K越前敦賀7.11.28 Pos33ピンホールあり シャピラが掘り出しで、ナタ二エル ★

⑦    N1B1/K越前敦賀7.11.10 ゴールドスミスが掘り出しで、関西のコレクターを経て、祖父江義信 ★

⑧    N1B1/K越前敦賀7.11.8 カロル2世→林喜一郎→日本フィラテリックセンターに出品

⑨    N1B1/K越前敦賀7.11.25 Pos1ピンホール無し 元ウッドワード 香港John Bullに出て、セールで不落札を後にプライベートで購入 某コレクター所有 ★

➉    N1B1/K越前敦賀7.11.6 Pos3 ⑪と同時使用の下側 オランダのVan Dietenで私が日・韓の古いリーフの中で落札 タカハシスタンプ ★

⑪    N1B1/K越前敦賀7.11.6 Pos11 ➉と同時使用の上側 山本謹一

⑫    N1B1/K越前敦賀7.11.8 スミソニアン博物館

⑬    KG羽後久保田 タカハシオークションで売られた物。唯一行方が定かでなかった物だが、今回の調査で判明。秋田の地元印コレクターが所有も、没後所在不明

⑭    KG羽後久保田 ウエーバリー→村川恒夫

⑮    マ23号 手彫切手専門カタログの表紙に採録 某コレクター ★

⑯    マ23号 元市田左右一 本年のJAPEXセールに出品 ★

⑰    マ1号  福原一信→太田克己

⑱⑲縦ペア キ1号 三井文庫

⑳    秋田調 某コレクター(関東地区)★

㉑    秋田調 アメリカ業者がE-Bay入手 鈴木鉄一 ★

㉒    N1B1/K越前敦賀7.11.9 昨年イギリスのオークションのロットから出現した新発見の物 某コレクター ★

祖父江データの21枚に、㉒が加わって、⑬が消えました。だから暫くは、知られている枚数は21として良いでしょう。後で一寸コメントを書いて置きましょう。

国際物流 事故多発

チョット深刻な事案が連続して発生しています。

信じられないのが、FedEXの紛失です。アメリカのブローカーさんからの出品物が、完全に行方不明になりました。ボストンで集荷完了の情報が出て、配達予定日が表示されて、そのままで、一切動きなし、今までには経験したことの無い現象です。先方から、物を送った事と、トラッキング番号を貰っていたのですが、まさかと思ってコールセンターに連絡したら、アメリカを出た証拠が見つからないとの事。しかも日本のFedEXの事故の取り扱いが最悪、荷姿と内容物の画像を送れ‼!だと。発送済みの連絡を貰ったから、検索を掛けて事故の事実が判明したけれど、それをやっていなければ事故が起きた事すら分からないはず。この件に関しては、私が出来ることは一つしか有りません。シッパーさんに状況を連絡して、アメリカで調べて貰うだけ、それなりに良い物を送って来ていた人だけに、事故の賠償を受けられるかどうかが気がかりです。職業は、事務弁護士なので、適格に動くと思うのですが、FedEXの場合、保険がどうなっているかは不明です。2週間経過も動きが見えないのです。輸送にかかる値段はケタ違いに高いのですが、配達までのスピードと情報開示の正確さゆえに信用できるキャリアだったのですが、一気に崩れ落ちてしまいました。日本のFedEXの責任ではないのですが、後処理が上手くないのです。確実にアメリカでの紛失なので、見通しは暗いと思います。

3月末の書損5円のタイムリミットに向けて、海外の取引先に周知していたのです。額割れを早く送れ、月を超えると安くなるぞ!! 結構な金額の物が届きました。でも、イギリスからの1件が未着でした。2か月近く経っても届かないのです。Royal Mailの書留・小包なので、JPのサイトでも番号での検索が出来るのです。引き受けは3月7日、そのまま動きなし。イギリスから出ていないことの確認は取れています。シッパーさんに調査依頼の届けを出して貰ったのですが、音沙汰ナシ。ところが、5月に入って突然に配達されたのです。私書箱で受け取ったのですが、判は不要、繰り返し確かめたのですが、普通便として船便で来ていたのです。結果オーライなのですが、書留ラベルが剥がれていたのでしょうか。悪意の輩なら、不着事故での賠償要求も出来るのです。私も、差出人もそれはやりませんが、起きてはいけない事故なのです。2カ月間のイライラはお互いにかなりの物だったのです。

去年の12月のオークション誌で未着事故が有りました。イスラエル宛です。コロナの影響は未だに残っていて、普通の航空便は出せません。唯一EMSは【配達予定日数5日】の情報がJPのサイトに出ています。3750円は結構良い値段ですが、間に合うのならやむを得ないと思ったのです。でも、届いていないのです。単に遅延かと思ったのです。JPのHPの情報は全く信用できませんから。でも、完全な未着の事故なのです。少なくとも、受け取っている証拠は有りません。でも、ここらが微妙なのですよ。国際郵便約款での規約に、【EMSとしての扱い云々】の表現が有るのです。平時なら、判取りは必須です。でも、コロナの非常時という事で、非接触・非対面での配達も認められているのです。こちらは、不着事故としての、料金返還の請求を出していますが、色よい返事は来ていません。それ以上に、当方と受取人の双方で、未着の事実の証明を出せみたいな要求をして来ています。何でも、コロナのせいで逃げ切れると思っているのでしょう。

オークション誌は兎も角、海外への物の送付が極めて窮屈になって来ています。相手国のレギュレーションで、すっ高い税金が掛かる場合が有るのです。それを外すための手段も無くは無いのですが、オークショニアは絶対にリスクを被りません。EMSのフルの金額での保険付きの発送が原則です。それが嫌なら、先方に代案を出すべくリクエストします。保険無しの書留でも構いませんが、事故のリスクは先方に負担してもらいます。一般的にはこれで良いのですが、イスラエルが難儀なのです。税関が極めて優秀で、見落とししてくれないのです。【モサド】が入っていますから。日本人では私と同年代、いやかなり上の人しか知らないでしょうが、1960年5月に衝撃的な事件が起きました。ナチスのアドルフ・アイヒマンが、潜伏中のアルゼンチンで拉致されて、イスラエルに連れて来られて翌年処刑されたのです。それをやったのがモサドです。私は小学生の低学年だったのですが、何故かその記憶が刷り込まれているのです。起きた事実を時系列に整理しているというよりも、遡っての後講釈だと思うのですが、モサドと聞くと、反応してしまいます。だからイスラエルの人はもっとだと思います。落札品の日本渡しとか、国際展に行く人への事付けとかいろいろやったのですが、気疲れが強いのです。好意でやるのですが、事故が起きた場合に責任が取れないのです。20%+の税金を払って貰うしかないのかな。EMSでオークションが送れないので、今回はFedEXを使いました。15000円+の負担です。無事に着いて、それ以上にビッドが来れば良いのですが・・・。

物流以外にも、国際取引で環境が激変しています。トラベラーチェックは過去の遺物だし、Demand Draft=送金小切手も無くなりました。私がアメリカに持っていた、パーソナルチェックの口座も、米国非居住者故に閉鎖されました。半年ぐらい前からは、仕向け送金でも被仕向けの受け取りでも、100万円か1万ドル以上の場合、マネロン対策で厳格なエビデンスがいるのです。オークションでの取引なら、100%通るのですが、出向く手間と、個々のディールが1回ごとに完結できることが前提です。なあ~なあでは通らなくなっています。

当たり前と言えば当たり前なのですが、オークション自体の運営も、ちょっと考えて行かねばいけないでしょう。甘えは何時までも続かないと思います。