japan-stamp Archive

2009年8月7日(金)

『完全木綿紙の確認法』 

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「三山紙」の方は、ウッドワードの分類のみが唯一の基準なので、今となっては緑1銭のKG備中三山の消印を持つ物以外は推測以上の説得力がないのかも知れません。それを承知でコレクター自身が基準を定めて分類すれば良いのでしょう。オークションの記事の表現は、弊社では100%私の基準で責任を持ってやっています。出品者の分類記事を盲目的に書き写すことはやりません。例えば、ここ数回ハイグレードの出品が続いているU小判のマテリアルには、これでもかと言うほどの珍品が続いてます。藁紙や白紙のコンパウンド目打は出たとこ勝負で、買ったもの勝ちなのです。今ほどの入手機会は今後も無いかもしれません。今回のセールでも、「完全木綿紙」の表現をしたものがかなり有るのですが、これも今だからという特殊な状況でも有るのです。そして、この表現は私の場合は、旧小判茶1銭・緑4銭の木綿粗紙と同一の紙質に限って使ってます。かなりのハードルの高さです。木綿という表現で、対極に位置する藁混木綿は、むしろ否定的に書いてます。分類上は木綿紙だけれど、典型的な粗紙でない場合は「完全」の文字は使いません。この区別は下見で比較してくれれば簡単に判るはずです。
オフカバーなら、肉眼で容易に区別が出来るのですが、カバーの場合はどうでしょうか。今回の場合、出品者がその表現をしてきて、やり取りの末、全てこちらに任せるのでヨキニハカラエ、になったのです。この条件なら、客観的に証明できる手段が有るのです。水につけて剥がしてしまえば誰でも判る、ただその手段は一般的には取れません。ましてやオークションへの出品物なら、手を加えることはご法度です。ただ、出品者の了承が有れば、それに近い状況は作れるのです。
LINDNERの郵趣品にStampRemover という溶液が有って、カバーの状態で、貼られた切手に刷毛で液を塗れば数十秒で糊を残したままで、液を塗った部分だけ封から浮かして紙質を裏から見ることが出来るのです。一部を封にくっつけて・・というのは単に拘り以上の意味も無く、完全に剥がすことも勿論出来ます。ただ、一度剥がして、元の通りに貼りなおすというのは、昔から結構抵抗があるのです。完全に剥がすか否かは些事ですが、その行為をやったことによって正しい分類が出来ても、品物に悪しき影響が残っては駄目なのです。大昔は竜の無地・縞が重要だったこともあり、かなりのケースで水で剥がして調べたことも有ったと聞いています。でも、今はその分類は無意味だし、竜銭の紙は表でわかるので剥がすことは有りません。だから、剥がすか浮かして紙質を見るのは、旧小判10銭の薄紙、U小判の木綿紙、産業か透かしなしかの区別が困難なケースに限られます。旧小判でも3銭。4銭は表で容易に判りますから液を使うことは有りません。
20年ほど前に買った溶液を今も使っているのですが、実際問題では、年に数回自分のカバーを調べるだけなので、殆ど減らずに残ってますし、全く劣化もしてません。揮発性ではないので、塗って浮かす時点で液が多少ははみ出すのですが、和紙の封筒は全く問題は無く、洋封筒でも普通の用紙ならば乾けば痕跡は残りません。ただ、最近の表面につるつる加工を施した絵葉書の場合は、引きつりあとが残るかもしれません。
郵趣目的に用品メーカーが作ったので、「ハガロン」とは比較にならない位に有用に使えてます。オークションへの出品物に関しては、出品者の依頼を受けての作業に限ってますし、表面目視でかなりの確度も保てるのですが、切手展の作品に使う場合はより厳格な調査が必要になるし、10銭薄紙カバーを鑑定に依頼した際には半分浮かして見やすくして出したのです。そのリクエストをされましたから。
手元にある20年前のLINDNERの画像を出しておきましょう。同じような目的で、STUARTとUHUも作っているし値段は非常に安いのですが、私が実際に使っているのがLINDNERStamp Remover8060(最新の型番)です。125mlで定価は8ポンド、ご希望ならば送料共で2000円で取り次ぎます。ご希望の方がおられればこれから発注して取り寄せます。まずはメールでお問合せ下さい。実際に使う場合は、何に使うかはひとえに自己責任なので、安い物で試してから理解した上でやってもらうしかないのです。

2009年8月6日(木)

『何これ?』 

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先日ブログに書いた、旧小判5厘エスパルトの使用済=Lot1211は、幾つかの情報が来ました。沢さんの小判切手の初期使用の欄に、明治12年紫◎YOKOHAMAの記載が有ります。今回の物は1879年FEBだし、色は黒だけれど、他にも黒の実例もあるので印象的にはかなりポジティブで良いと思います。だから表紙に使ってます。このブログをきっかけに、出品者からも連絡を貰いました。昭和48年~50年の間に、東京の切手商から通信販売で買った、単なる使用済だということです。当時に然るべき専門家に消印を見てもらって、その際にも、見た人がいい反応だったとのコメントを貰ってます。もう少し掛かり方が良ければかなりの物なのですが、次回の出現を期待しましょうか。
Lot1287 1次昭和4銭3枚貼速達樺太宛
第1種4銭+速達8銭で当然料金は合ってます。ただ表で見える以上のプラスの情報がないのです。着印無しは止むを得ないにしろ、やはり飛び込みづらくなるかも知れません。確かこの現物はヤフーに出ていたものでしょうか。その時から何人かから同じ意見を貰いました。樺太の速達制度を整理すれば、山下精一さんの本に、昭和14年6月16日から取り扱いが開始されたという記載があります。ただ、内地からでも出せたのか、区域は全域なのかなど詳しいことは判らないし、実例も見つかってないのでは。昭和18年4月1日の内地編入の後は、「速達で内地は何処へでも」に含まれるので制度としては同一料金で存在したと思われます。今回のマテリアルは、料金相応の特殊扱いが為されたかは誰も判りません。ただ、否定できるデータもないので十分に使えるものだと思うのですが。
Lot2120 無切手葉書 N3B3東京19.6.5
図に示した左側の説明は、元の所有者?=漆畑さんのメモです。形態は小判1銭紙幣寮葉書と同じ感じの用紙、消印は問題は有りません。ただ、印面や表題などの有るべき印刷が消えてます。全体に疲れもあり、青色の印刷を薬品で消去したかもと思いましたが、果たしてそれが可能か否か判りません。ただ、漆畑説の「公然と許された無税葉書・・」というのも私の知識の中にはないのです。ご存知なら、オークション終了後にでも教えて戴きたいのですが。
Lot3356 竜1銭2-14 未使用 強靭紙
1枚の切手の説明とすれば、この書き方以外はないでしょう。ポイントは勿論紙質であって、もしこの表現が正しければ、公の場に売りに出た初めての1銭強靭紙の未使用ということになるのです。はっきり言えるのは、最もありふれた脆弱紙ではなく、また半透明無地のぺルアー紙でも有りません。ただ、所謂典型的な「強靭紙」=2銭と5銭使用済の分厚い毛羽立った黄色い紙とも異なります。必要十分な繊維質はあるので、敢て三椏・・と書きましたが、薄手で格子縞が見えるのです。識者のお話では、1銭2版と半銭2版に全く同じ印象の未使用があるそうです。竜銭の紙は言葉の表現手法としては、脆弱無地・脆弱縞・ぺルアー・強靭紙(無地・縞)で収まっているのですが、実例としてはちょっと微妙なものが有るのです。今回の出品物、議論の材料になれば幸いです。本来なら、このステータスなら表紙に載せても良いのですが、目打=12×11の横目打が気になって・・竜の12というよりはマージンの狭さも相まって、リパーフかなと見えるのです。それ加味した扱いをしています。
Lot3238U小判2銭 三山紙 使用済
言葉としては、誰もがご存知の、かのウッドワードが名付親のU小判=本来は1銭の薄手白紙漉き目が明瞭な縦紙です。1銭に有れば、当然2銭にも有っていいのですが、「三山紙」と銘打って売られた記録も殆どないかも知れません。オボロゲ記憶としては、1銭のKG備中三山を一度だけ扱ったかも知れませんが今や確認も出来ません。1銭・2銭の薄い白紙なら、それなりには有るのですが、「三山紙」と記事に書くには相当蛮勇を奮わねばなりません。今回のこの記載は、出品者が恐らくは日本で最も数の多い赤二を持っていた?という彼の自意識を評価しての記事なのです。ビッドにエクステンションで他人の評価に委ねるのは野暮なので、現物を確認して、納得の上で競ってもらいたいのです。オークショニアはこの程度までしか面倒は見ませんから。

2009年8月5日(水)

『知的好奇心』 

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8月号の原稿は既に校了、11日に納品になり12日に発送します。Webで情報をご覧の方には5日から下見可能です。それに先立ち、オークション誌には書き切れない情報をチョッと書いておきましょう。まずは、知的好奇心が刺激される、ひねった情報からです。
Lot 1924 大型小包送票(乙)
根拠となる告示を探せませんでしたが、明治31年の時点では、大型の乙は、受取人に一定の期日内に配達できなかった小包の事後の取り扱いに限って使われた物なのでしょう。中央部に「転送・還付」の2要因が書かれ、扱いを問うてます。当然ながら初めてお目にかかりました。想像だに出来なかった珍しいマテリアルです。
Lot1412 着印 季節局 信濃御嶽山
田中寛さんの「丸一印の分類と楽しみ方」P57に載ってます。山岳季節局=富士・御嶽・浅間の三局に共通ですが、その業務は「普通郵便及普通小包郵便物ノ引受並二交付二限リ・・・」と有るのです。実例も、圧倒的に葉書の「引受」に限られ、封書はかなり少ないでしょう。それ以上に可能性として、有り得るけれど少ないのが、「交付」です。留置で出頭を待って手渡すサービスということです。今回の物が正にそれ、御嶽郵便局止めできっちりその役目を果たしたのでしょう。
Lot2126 鳩郵便 新宿三越展
鳩郵便で有名な物は、白木屋の満蒙展、これはかなりの数を見かけます。それ以外にも、毎日や読売が企画した同様な物も時々見た記憶が有るのです。でも、今回の鳩便には見覚えがありませんでした。消印が不鮮明、かろうじて読めたのは一文字で「浮」、裏の書き込みは大島にて・・。だから、この消印は「東京波浮湊」伊豆大島から伝書鳩が新宿三越に手紙を運んでくる。なかなかの良い光景だと思うのですが。
Lot1861 ゼロ付立山125円絵葉書航空便ドイツ宛 TOKYO19.ⅵ.52
ゼロ付立山の消印収集ポイントの一つは、ゼロ無発行前が必須、これは誰でも知ってます。発行日はゼロ付が1952.2.11、ゼロ無が1952.7.1、この条件で欧文印を探せば、必然的に櫛型がスタンダードになるのです。ところが、1952.4.10に重要な告示が出ています。交換局6局に限定ですが、この日で櫛型から三日月に切り替わっているのです。切り替え遅れも有るし、大局であっても、2ヶ月と3週間の期間での欧文三日月消は理屈の上からも高いステータスを与えても良いでしょう。立山航空の場合、欧文櫛でよく見かけるのは、商社や企業関係の差出郵便物が非常に多い東京と大阪の市内局の数局です。
OSAKAHIGASHI,KITAHAMA,NIHONNBASHI,SHIBAですが、この4局は三日月への切り替えが遅れてます。その意味でも、1952.4.10~6.30のゼロ付立山・三日月は非常に難易度が高いのです。今回のマテリアルは、ヨーロッパ宛でしかも葉書=封書と同一料金というおまけ付、何だ、TOKYOかと見過ごして良いものではないのです。反応できる人が2人以上いるなら、オークションはにぎやかになるでしょう。

2009年7月15日(水)

『再審請求』 

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2005年版以降の日専日本関連地域編では6N1~116のアンボン郵便局長印が「偽造印」と確定された旨で削除されています。その根拠は土屋理義氏の「日専」を読み解く「南方占領地」の123頁に書かれてます。アンボン局長の鄭忠孝が、作ったとしてその見分け方の情報も開示されてます。この記事を読まされれば、少なくとも日本国内では、誰も反論は出来ません。元になる情報量に比較が出来ないほどの差があるからです。
ところが、極最近、オランダのオークションで1通のカバーを手に入れました。駄目を承知で参考品として買っておきたかったのです。元はといえば、世界的にも最も著名な南方切手の専門ディーラー、Boekema 75回セール ロット4196=落札値5250ギルダー・多分手数料込みで25~30万円で売られた現物です。私は持ってないのですが、Roelf Boekema の1980年の著作に記事が出ているそうです。落札した現物を見ましたが、普通の郵便使用ではないようですが、上記の鄭局長のカバーとは顔つきが違うのです。
このケース、いわば「死刑宣告」を受けたマテリアルの罪を改めて確認しようとしているのです。ここは、判断をする組織の河岸を変える必要があるでしょう。躊躇無く「The Royal Philatelic Society London」の門を叩きます。今までも、何度も日本国内では判定が無理なマテリアルを、ここを使うことによって生かして来たのです。小判・菊・冠の「SPECIMEN」加捺も日本では駄目にされかけたのですが、Royalでは日本切手でなく、英連邦切手=Natal・BechanalandのUPU見本で真正との判断をしてくれました。蘭印関係の日本占領地をどなたが判断するか判りませんが、座して死刑執行を待つのでなく、「再審請求」にトライしょうと思うのです。Royalの鑑定のミーティングは年9回で、日付も完全に公表されてます。今回のアンボンカバーも白黒は付くと思います。結果が出ましたら、ここで公表いたします。南方の場合、アンダマン・ニコバルは多分実逓はないでしょうし、幾つかの地区やテーマでも素性のはっきりしない物も残ってます。貴重な物、胡散臭い物が結構入り混じったオークショニア泣かせのカオスの領域なのです。  確か昨年だったのですが、人を通じて、多分未発表と思われる、「フローレス」の切手貼の郵便使用のカバーと葉書のカラーコピーを見せられたのです。売るとしたらの評価のお尋ねでした。瞬時で良い物と思ったので、琉球の100円加刷貼のカバーか、竜500文のシート並の数字を出したのです。ただ値段がどうこうで無く、まさにタイミングが合わずというか、縁が無かったのか、この2点の大珍品は、故人が生前お世話になったという、海外の郵趣団体へ無償で寄付されたというのです。今手元にある、「アンボン」はもしオーソライズされたなら、「フローレス」や「アンダマン・・・」と比肩できる可能性が有るのかなとちょっとは夢を見てもいいでしょう。或いは、ナイトメアーに終わるかも知れませんが・・。

2009年7月14日(火)

『旧小判5厘エスパルト』 

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8月のオークション誌の編集も今が佳境、メールは2400ロット強の出品で、記事は書き終わり近日中に入稿できますから、これから2週間+はフロアのパートに専念します。今で1500ロットなので、最終のロット数は3500を超える位になるはずです。目玉は広告とオークション誌を見ていただければ分かりますのでここでは取り上げません。それ以外の、今現在にわたくし的に感性に響く物を書いておきましょう。1点はオークションの出品物、もう1点は海外のオークションでの購入品です。
オークションに出るのが、旧小判5厘E紙10 初期◎YOKOHAMA1879年2月の黒印が③の状態で掛かった物。最低値は5000円 「as is」 扱いで出しました。ごく普通の国内のコレクターから記事なしで送られてきたものです。付随する情報は皆無です。旧小5厘のエスパルトの使用済は、きっちりとその存在がオーソライズドされたものは無いに等しい状況です。でも、私のおぼろげ記憶では結構そそられる物が有るのです。澤さんの「小判切手」の記述でも輸出用の20ミリのリメンダーTOKIOはエスパルトと書かれてます。ただ、これは郵便使用とは繋がらない例外で、正規の使用済の存在の有無とは直接にはリンクはしないのです。ところが、それ以外にもう1枚、トビっきりの物が有るのです。金井スタンプが扱った、オーストラリア人のコレクター=ワイズブレムセールの旧小5厘の単片使用済のロットに「記番消=イ47号」が入っていて、見つけた2人が猛烈に競ったのです。時を経て、落札者=所有者から確かに見せてもらった覚えが有るのですが、印影・印色等何の嫌らしさも有りませんでした。記憶では紙は確かエスパルト・・、海外から来た、うぶいロットを2人が見つけて納得で競ったのは確かなので、真正を疑う要素は、1点切りで連れが無い、珍品過ぎる使用例という、理由にもならない状況証拠しかないのです。でもこの条件では客観的な物証が欠けるとして、戸籍には採用されてません。
今回の初期◎YOKOHAMA エスパルト、直感では記番の神奈川の連れという気もするのです。ただ、1点きりの単片で、掛かり方が③なら、オークションの出品物としても無論のこと、コレクターの自慢に耐えるマテリアルではありません。でも、記番のイ47号の話でも経緯を知ってる人が何人いるのでしょうか。競って買った人も切手展の作品に使ったかどうかは今直ぐには確認できない状態だし、今更好んで現物をオープンにはされないし、競って負けた人は今は遠くへ行ってるので、ここらで書いておかないと、存在自体が日陰の幻想で朽ち果てるかもしれないのです。真っ当に評価すれば大珍品のマテリアルが、ルート違いでの複数出現は後に続く人にとっての格好な道しるべになるでしょう。珍品の出現の事実を根拠の無い思い込みで排除するのでなく、冷静にアナライズすれば見えてくる事実も有るのですから。でも、この2点の5厘の使用済は「鑑定」には向きません。私がそれをする立場だったとしても、「意見無し」=資料不足・判断材料が欠如しており「判定し難い」という評価になってしまいます。直感では良い物、面白い物と思っても、踏み込みにくい場合があるのです。だから、オークションの記事としては「as is」 が正解で、後は買う人の評価に委ねたいのです。でも、もう1点はちょっと事情が違います。

2009年5月28日(木)

『2011年の大金賞』 

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5月14日に開催されたオークションの結果が届きました。スイスはGossauの Chiani-Auktion、キアニーと読むのです。欧州でのステータスはかなりの物ですが、日本では知ってる人は少ないでしょう。このセールに竜のカバーが3点出てました。
Lot2889が48文田型貼 桑名検査済 Ex. Levy
Lot2890が100文貼  西京検査済
Lot2891が500文3枚、48文2枚貼 神奈川駅検査済 Ex.Levy
そして落札値は上から、SFr.12000・13000・80000です。落札手数料がVAT抜きの海外へのExportで19%加算なので、支払いは邦貨では126万、136万、840万になるのです。何れもルックスは良好ですが、昨今の日本の相場では有り得ない数字でしょう。因みに私もビッドはしましたが、何れも掠りもしませんでした。この落札値は日本からのビッドの数字ではないでしょう。超強気の我々が承知していない海外の二人がガチンコで競ったのか、何か出品者サイドの裏が有るのか今の時点では分かりません。ここに書いておけばそのうち的確なレポートが来るはずです。もし計算が立つ、新規の真っ当なビッダーのお買い上げなら真面目に商売のスタイルを変えたい位の驚きの値段です。参考までに昨年のドイツのケラーに出た、坂東ラーゲルの2完のシート、落札値軽く1000万円超えは、日本の博物館やドイツの専門家でなく、北米の某コレクターの札だったそうです。その人はこのテーマでまだまだ買い意欲は旺盛です。 話を進めて、弊社の今回のセールの目玉はLot3420の改色1銭チ 未使用、Lot3444 和桜2銭イ 未使用です。この2点とも最初に掘り出されて市場に出た瞬間に声がかかっていたのです。1銭チは10数年前にアメリカで見つかって、Cherrystoneからプライベートのオファーが来ました。値段は十分買える数字でしたが、フレッシュで真の未使用の確信は有っても、右下の掠れが気になって飛び込めなかったのです。他のディーラーの手を経て、コレクターにプライベートで動いて、今のタイミングで弊社に来ました。カタログ値700万がベースなので良い数字で取引されたと思います。和紙2銭イは、極最近のE-bayでの掘り出しです。見つけた人が興奮状態でメールを送って来て、出品するのでギャランティーの数字を教えてくれとの話でした。ルックス良好なので、結構真面目な数字を教えました。ただ、お若いアメリカの弁護士君は私よりも随分と厚かましいセンスをお持ちだったので、アメリカの某オークションに出品したのです。私の出した数字を下支えにして、それ以上のリザーブドプライスを付けての出品だったのでしょう。結果は形式上はUS$8000、私の出した数字には遠く及びませんでした。だから必然的にUnsold、ペナルティーを払ったかどうかは知りませんが、日本切手の大珍品がアメリカのオークションで8000ドルで落ちて、それが落とした人により日本へ転売されました、というのは全く筋違いの話です。本来の持ち主がお馬鹿な寄り道をしたものの、結局は賢明なマーケットへの提示になりました。
この2点、出品者は違うのですが、何れも売り切り前提の最低値一任での出品です。クオリティーは悪くはない、でも今の日本の状況では1枚に700万・500万という型録値なら、グロスの値段が勝ちすぎて、オークションベースではかなりの足かせになるのです。物の実力と、2011年の国際展でトラディショナルの大金賞を狙う人の必要度を秤にかけての、売れてくれよのお買い得な値付けです。
このクラスのマテリアルを完全な一任で受け付けて、売ることが出来ないのなら、オークショニアは切腹でしょう。出品者の思惑も飲み込んでの設定した最低値、反応は悪くはないのですが、日曜日の午後5時に判決の時を迎えます。種のない手品の結果はフロアに来て体感して下さい。

2009年5月27日(水)

『1次昭和10円貼日泰航空カバー』
時を経て、極当たり前に毎年の春と秋、多分1年に5~6回はヨーロッパのオークションハウスを回っていたのです。チューリッヒとハンブルグがメインで、届いたオークション誌を広げて、その前後にセールと場所を選んでのユーレイルパスで回っていたのです。アポ取りの下見も含めて、1週間の旅で7~8社はカバーできていた時代です。Japanが出ていることは確認済みだし、スイスのメジャーなオークションハウスはセールの日程を調整してくっつけてくれていたので、場への出席は無理でも、下見さえすれば、セールでも空振りはなく、1回の旅でJapanのみで500~1000万は買えてました。その時は何時もの想定のルートの予想外というか計算外のカタログが届いてました。
パラパラめくって、モノクロ写真のページで見つけたのが、「1次昭和10円、1円、4銭貼の航空便 ロールKOBE」、20通ぐらいの同種のカバーのExample、参考値は50マルクぐらいでした。Frankfurtの Rudolf Stelzer、A5サイズのオークション誌は結構分厚いけれど買った記憶はあまり無いのです。でも丁度タイミングの良い日程なので、フロアに出席出来たのです。ドイツのこのレベルのオークションハウスの場合、出席者はまばらです。エージェントを除けば10人いるかどうかで標準。ビッドするのは1ロットなので、英語のコールはリクエストせず、ドイツ語の読みでOKでした。落とす自信は有ったけど、それ以上のあっけなさ。確か85マルクで落ちました。発着が同一人の同系統のカバーロット、日泰航空でしたが、10円貼は1通だけ、料金で10円超と5円超は複数あったけど、それらは昭和の1円か昭白1円の多数貼ばかりでした。
このカバーの行く末は、最低値40万で出品して、西の国のベテランのカバー好きのコレクターの100万超のビッドを、わざわざフロアに来てくれた東の国の昭和切手のオーソリティが跳ね除けて、20年はコレクションとして、雑誌に発表して楽しんで、一昨年のJAPEXのフロアセールに再登場したのです。時の洗礼を経て希少性の裏付けもあり、まともに踏んで、200万位かなが下馬評でしたが、強い代行札を預かっていたので、最後の競争者に「コダマ!降りろ」と叫んだ甲斐もなく聞こえないふりをされて、随分と立派な値段で落ちました。私の評価は、買った時の雰囲気からして、日泰航空・・、一杯あるはず・・ですが兄弟カバーは出てきません。
フランクフルトのセールが終わっての出来事です。望外の結果で余韻に浸っていたら、人懐っこい若いインド人が声を掛けて来たのです。ワールドのロットに、Japanの初期の葉書がまとまって出ていた。なぜそれを買わなかったのかという問いでした。組合カタログを見せて話をして分かったのは、紅枠使用済が5~6通有ったとか。でも、Japanを強調してあるロットなら兎も角、ワールドワイドまでは見ないのです。
そして、数ヶ月後にひょんなところのカタログに、それと思しき紅枠が纏まって出たのです。ベルリンに壁が有った頃の、向こう側で行われた、Wolfgang Jakbeckのセールです。私はフロアに出ないけど、エージェントに頼めるのでこの条件は大歓迎。限りなく安く全部買えたはずなのです。JakbeckはハンブルグのPoststrasse17に事務所があり、第一回のセールで、竜1銭2枚貼 KG越後高田のカバーがでて、それ以降一年に2回、ほぼ皆勤で下見に行っていた、相性の良いオークションハウスでした。オークショニアのポリシーでしょうか、出品物に品があり、安~い参考値に、下見して目一杯のビッドをして、それでも買えたり負けたりで、オークションハウスとしては、かく有りたいと目標にしていたのですが、どういう事情か分かりませんが、東ベルリンでのセールを最後にしていつしか業界から消えました。そして、フランクの駅の裏の操車場のそばのStelzer、2008年に破産してオークションが続けられないとの記事をどこかで見たのです。声を掛けてきたインド人は、是非家に来いと誘われたので、アムスの税関でトラぶりながら通関した、土産の「日本人形」を持参して、南ドイツにまで出向きましたが、ビジネスとしては完全な空振り、でも、CorinphilaでもRappでもFeldmannでもKoehlerでも必ずと言って良いほどに会うのです。私は全く近寄らないけど国際展にもブースを出しているし、仕入れの為にオークション皆勤というのはビジネスは上手く行っているのでしょう。死屍累々のオークションハウスに対峙するにつけ、逞しきインドのパワーには感心させられます。彼が今まで続いているのは、変にJapanに踏み込んでこないからかも知れません。
5月14日のスイスのセールで、竜500文貼のカバーがS.Fr80000=800万++で落ちました。詳細は次回に・・・。

2009年5月26日(火)

『大正白紙25銭単線12 未使用』
J.& H. Stolow の名前にはほろ苦い思い出が付いて回るのです。どなたの文章だったかは忘れましたが、確かヒロユキ・カナイさんが、かの事務所を訪れた際、金庫から英領ギアナ1セント=世界一高価な切手を取り出して見せられたとかの記事を読んだ覚えがあるのです。ニューヨークの事務所主催でのフロアオークションは盛況で、弟はミュンヘンの一等地での店頭販売の店を持つ、当時はステータスの高い商売をしていたはずなのです。
私のこの会社との実体験は、矢鱈と暑い時期に見た、手彫の写真が数十頁続いていたオークション誌、洋桜2銭カナ揃いの写真が出て、不統一がチラホラと・・。その類が数百ロットはあったはずです。この当時でも、私は海外へのメールビッドで、小判以降は結構買えてました。ただ、手彫は落ちないし、このボリユ-ム大のセールにも然るべき人が場に出ていたのでしょう。手彫系は掠りもしなかったはずなのです。その後も極当たり前にオークション誌は来ていましたが、いい買い物をした確たる記憶はありません。そして、いつしかフロアセールが無くなって、或いは並立だったかも知れないけれど、GoldMedal Mail Sale の名前でのメールオークション誌に業態を変えたのです。
コレクションや高級品でなく、スコットアルバムを崩したような単品を写真入りで載せているセールでした。このパターンの場合、基本的に買い気がそそられる物はないのです。小売りと同じ意味なので、評価ミスで抜ける要素は少ないし、目が覚めるようなバラエティーなど1種1枚が分母の場合、普通は有り得ないことなのです。但し、白黒でも写真は非常に鮮明なので、物が有れば見落すことも有りません。そして、奇跡が起きたのです。 記事はSc.124 ヒンジの有無のマークが有って、スコットのカタログ値の記載だけ。今も昔もアメリカのオークション誌での単品の1点売りの当たり前のパターンでした。そして一目で分かる単線12、センターもフレッシュ度も何の問題も無いVFのコンディション。 オークションのカタログで見つけはしたものの、問題は完全なメールセール、テクニックの使いようの無い、ただ数字をビッドしての高い安いが全てのルールです。今なら、少し努力をするかもしれないけど、この時は売れる値段を踏んで、逆算で目一杯入れるだけ。25銭の単線12なら、使用済でもかなりの物、それのユニークな未使用なので、100万円をベースにした数字を出したはずなのです。その値段で落ちれば厳しいけど、人より上でなければ負ける。メールセールでもオークションなので、ゴミの値段で落ちる可能性も有る・・。コレクターは見てないはず、だからこの数字なら負けることはないはずでした。だけど結果は来なかった。即売誌の延長のメールセールなので、多分全体の落札結果表も出してないはずです。E-メールは勿論、FAXも存在してない時代です。電話をかける知恵も無く、ただ、○か×の結果を待つだけ。来ないというのは×なのです。
目一杯のビッドで負けて、それならそれは仕様が無い・・。直ぐに気持ちは切り替わるのです。ところが、次号か次々号に全く同じものが再出品されたのです。まさにその現物が・・。記事は前のまま・・。目打云々の記載も無く・・。再チャレンジでも全く同じビッドを、今度は書留郵便で送ったはず。そしてその結果は、前と同じままなのです。
私のビッドのマナーは物凄くまとも。何の捻りも入ってない。持ち主は当然ながら、オークショニアそのものだから、1番札だから、絶対に買えるとは限りません。入った札を見てもっといい客にプライベートのオファーでも掛けたのでしょうか。落札結果表も出さないし、任意の即売ビジネスだと思って見れば、高く入れても買えないことも無くはない。ただ、再出品というのが分からない。そして、このものの行方は未だに誰も知らないのです。見違えるはずはなく、物は確かに有った。ナイト・メアーの結末は永遠に謎のままなのでしょうか。そして、GoldMedalMail Saleは何時しか消え、かのStolowの名前を最後に聞いたのは、その甥がオークションのRingの一員として刑事被告人として郵趣雑誌の記事に現れた時なのです。
気分を変えて、少し遊びの情報を出しましょう。豊中市在住の故山本義之さんから、かつおつり(目打あり)シート=現在逓博にある・・を預かったとき、幾つか面白いシートの資料を貰ったのです。琉球の100円加刷とかと共に、大白の完セット「みほん」のシートも有ったのです。逓信省の資料で、門外不出のメモがありました。その目打は、5銭が13×131/2、10銭が12×121/2、それ以外が全て単線12、今単片で残っている結果のままの資料でした。大白のみほんは、発行時の局への周知用というよりは、黒表紙の見本帳用に使われてますが、その何れもが目打はここに書いた一種しかないのです。25銭のL12の未使用を望むよりも、「みほん」でちがう目打が出てくれば、結構珍しいかも知れません。新小判3銭や他の額面のP12の「ひらがな・みほん」がそれに匹敵するバラエティーなのですから。
次は、「1次昭和10円貼 日泰航空カバー」、フランクフルトの駅の裏、電車の音がゴトゴトと・・・。

2009年5月23日(土)

『菊50銭C12x121/2 未使用』
標記のアイテムは、あの当時は秘かにお持ちの方はいても、表面上は売買実績ゼロ、A先生も欲しいけどお持ちでないというパターンでの専門カタログの評価だったと思います。でも私としては、他の誰にも知られずに、何故か確信的にそこにあることは知っていて、絶対に落とせると思ってました。情報でも評価でも、取り扱うジャンルとしては菊あたりは結構自信が有ったのです。
ウエールズ=カーディフのWesternStampAuction、知る人ぞ知るレベルのオークションハウスです。何人かのブローカー的な日本人にとっては罪作りな、毎回連続して長~いディスクライブでのJapanの「コレクション」が出てました。このオークションハウスは最低値を指定しても不落の場合の5%のペナルティーを科さない、出品者にとっては有難い、応札者のとっては面白みの少ないやり方をしてました。長い目で見れば、オークションハウスとしては、このマナーは絶対に損するし、いずれは廃れるのですが。このやり方を認めるのは、当時のイギリスでは他にWarwickとGibbonsがそうでした。だから、この3社には、かのR.& S. S・・・・が腕によりを掛けて、売るために作った作品が毎回出ていたのです。もっとも、ここらの事情がはっきり分かったのは暫く先になってのことですが。
この時の少し後のロンドンのH.R.HarmerでのウッドワードのPostalForgeryを貼ったカバーの落札ちが、根回し、調整、談合一切無しのガチンコのビッドで、ほんの数百ポンド(下のほう)=スピロの偽物のシートよりも安かった・・事で分かるように、外国のオークションでは「菊」をまともに評価している人は皆無でした。しかも、50銭の目打は18完の一種として、完全に隠れていたのです。私の取り扱い品目はこの当時でもゼネラルなので、カタログをべースにはせずに、珍目打への評価は少なくとも日専++で平気に飛び込んでました。しかも、カーディフはウエールズ、ロンドンから数時間は掛かるのです。
この当時は、エージェントも使わずに、ただ単純にメールビッドをしてました。でも結構成果は上がっていて、Findでの掘り出しは極当たり前の如く、無競争のあっけの無い数字で落ちてました。だから当然、この50銭C12x121/2も幾らで買うかでなく、オークションの場に始めて売り物として提示したら、誰が幾らで買うのだろうか・・、確実に欲しがるであろう、A先生に誰がぶつかるのかが関心事でした 。
今と違ってビッドの結果は知れるのは、インボイスが郵便で来るのを待つしか有りません・・・。そしてこのロットに対する数字の記載はなかったのでした。暫くして、風の便りが聞こえて来て、当時有った銀座のサンフィラの店頭に、50銭C12x121/2の未使用が並んでいた。値段は・・・、一瞬で消えた・・とのことでした。問わず語りの情報では、キタゾノ君が、日本への帰国の前日に、たまたま「ロンドン」で開催されたWesternのセールに出て、そこでメールビッドと強烈に競って買ったロットの一枚だということです。実際、Westernがロンドンでセールをやるなんてことは有り得ないケースなのですが。普段の通りにウェールズでやっていれば、単なる未使用セットの値段で私の手元に来たはずなのです。切手に対する相性が有って、50銭のC12x121/2未使用には未だに縁がないのです。勿論掘り出し前提ですが、他額面は一揃い、多分2セットは只で手にしているはずですが、50銭に関しては最初の強烈な経験がずっと邪魔をしてくれるのです。
このオークションハウスでは、この直ぐ後、多分次回か次々回のセールに、葉書の書留年号2字AIKOKUMARUが出て、こちらはきっちり買えました。プライベートで収めた相手は既に逝り、現品はご健在な時点で引き継いでくれる方に渡ってます。50銭は時を経ずして、サンフィラのフロアセールにでて、A先生が大願成就、菊のC12x121/2を未使用で完集され、めでたく日専の評価も大いに改正されました。その後も私は掘り出しの経験はないのですが、プライベートの取引や、オークションへの他の方の出品物としては4~5回は扱ってます。世の中に結構な枚数は有るのですが、まだ欲しくてウエーティングリストが長いので、何れは掘り出し記録に載せられると思ってます。単なる記憶上の拘り以上の意味はないのですが、これだけ1枚抜けはシャクですから。
因みに、このWestern、その後の20数年の取引で、実際に買ったのはほんの数回、というよりも欲しい物が出たのが一度だけ、改色1銭ブッチの未使用が数十枚の桜切手のリーフに混じっていたときだけ。ただこの時は写真版に載ったので、セールへのビッドとしてはちょっと別のパターンになったのですが。そして時を経て去年のこと、P.A.Wildeから手紙が来て、WesternStampAuctionは消えました。
次回は大白25銭L12 未使用、面妖なメールセール、New Yorkの英領ギアナ1Cにも繋がる会社での出来事でし

2009年5月21日(木)

『ノスタルジー』
最近イギリスから届いた手紙を開いたら、オークションの廃業連絡、支払い済みのカタログ購読料の返金のインフォメーションでした。「Bonhams」というよりも、サザビー、クリスティーに続くステータスのオークション企業、Phillipsの切手部門のオークション業務を行っていた会社です。私にすれば、Phillipsの名前でオークションをやっていた時代のNew Bond の古~い建物、迷路状態の建物で、一人では切手部門には辿り着けないオフィースに強い印象が有るのです。オークションとしては、Japanの大コレクションの売り立てや、記憶に鮮明な大きい掘り出しはないのですが、カタログの編集方針が、全世界のコレクション・アキュムレーションをトップに並べて、しかも参考値の高い順にロッティングをしていて何時も同じスタイルの編集手法の印象が強いのです。押しなべて値段の設定は割安で、売りきりが前提なので、ここに出ている全世界のぶ厚いアルバムを買って、ページをちぎって国別に売れば結構商売になるので、イギリスを中心に世界中のゼネラルディーラーや、中小のオークションハウスの効率の良い仕入れのソースになってました。
売りの需要は引続き幾らでも有るはずなのに、買いの意欲が追いつかずに、ビジネスとして成り立たないとしたならば、業界にとってはいい話では有りません。
イギリスの切手部門のクラシカルな4大オークションハウスといえば、ギボンズ、ハーマー、ロブソン・ロー、フィリップスで誰も異論を唱えません。でもギボンズは出版・アルバムは残っても、オークションはWebが主体です。去年の旧小20銭貼りカバーの出品など奇跡的な出来事でした。ハーマーは経営がイタリア人だし、ロブソン・ローも2度名前が変わってます。そして最後がフィリプス・・・。
Bonhams=Phillipsに限らず、最近はオークショニアの永久的な廃業の連絡を貰うことが多いのです。私の経験を踏まえて、思い出深い経験を幾つか書いて見ましょうか。買った物、買えなかったものを含めて、殆どどこにも書いてないはずのお話です。
今回の弊社のフロアに出ている目玉が旧小30銭の11L、チューリッヒでのRobson Loweでのアレン大佐のコレクションに有ったものです。私はまだ、動いてなく、カタログをライブでは見ていません。でも、当時の新進気鋭のコレクターがメールビッドで落として、どこにも出さずに秘かに持っていて、直近にE-bayでもっといい状態の物を手に入れて、ダブったからと出品してくれたのです。何人かに聞きましたが、この直近の掘り出しに気づいた人はいないようです。
私の経験でも、30銭11Lは多分7~8枚は扱ってます。その内の3回は海外での掘り出しです。まだ直接外国に行く前に、メールで落としたロットに入っていたことも有るのです。確か1980年代の前半、最初に11Lを手にした頃、偶然にも他の目打の珍品の入手のチャンスが来たのです。目打の珍品で、当時はまだ表で売られた記録がなかったもの。菊50銭C12x121/2 未使用、大白25銭L12未使用、小判・菊・田沢を3枚オークションの表紙に並べて売ろうかなと思ったのです。1枚は既に手元にあり、後の2点も手を伸ばせば届く所に有りました。
『菊50銭・・・に続く・・・』