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支那字入り切手帳

2000年に入っていた頃かと思います。ノルウェイのオークションなので、EngersかGermetenのどちらかです。支那字入り田沢の小さいロットが出たのです。コピーを手に入れて、ポイントになる目打と枠線をチェックしました。数ページで見易く広げてくれていましたので情報とすれば完璧です。結構大白が多かったと思います。状態はフレッシュで極美と見えました。ロット自体は興奮する程の物でも無いのですが、ソソラレルお化けが含まれていたのです。切手帳の表紙なのです。組合番号では帳5・8・11、日専ではBC5、菊か、大白、旧毛の3銭用です。オークションの記事には、切手帳の記載は有りません。完本?ペーン入り?表紙だけ?可能性は各1/3です。切手帳の場合、支那字も無加刷も同じです。区別は不可能です。表紙だけでは菊・大白・旧毛の区別も出来ません。オークションの記載では支那字のロットなのです。でも、切手帳は記事の対象外、さあどうした物でしょうか。得られた情報で、根拠は薄いのですが、他の未使用が基本的に大白なので、切手帳も大白3銭、支那字入りと踏みました。完本でなくても良いのです。1ペーンでも大儲け、白耳付のペアでもOKのステータスです。

私のオークションでのビッドは、落ちなくても仕様がない=この位入れれば落ちるだろうがAパターン、メールビッドはそうします。売値を考えて、その目一杯まで入れるのがBパターン、フロアにエージェントを立てる場合と自分が場に出て下見した場合がこれです。下見はできないけれど、何かが有りそうな場合か、目をつむっても買いたい場合がCパターン、私のビッドの上で買うならお好きにどうぞ、の数字を決めるのです。このやり方では当然ながら99%勝って来ています。負けたケースを完璧に覚えている位ですが、それは又の機会に致しましょう。ノールウェイの切手帳は、このどれにも当てはまらないのです。自分で場に行くのは無理ですし、使っているエージェントもカバーできない地域です。メールで覚悟を決めるしかないのです。他の人ならどうやるかを踏みました。万一、知識が有るビッダーが下見して切手帳を開いたなら、物が有れば100%負けるのです。こちらは、中身入り、しかも支那字の大白3銭だとは評価は無理なのです。旧毛なら大ごとです。無加刷とは毛程も思わなかったのですが、入っている確信は持てませんでした。コピーで見える未使用を計算して、カタログ値の2倍でビッドしたのです。切手帳の表紙を踏まなければ、絶対に勝てるでしょう。日本からのメールで私と同じ感覚の人が居るとも思いませんでした。でも、結果は一声負けていたのです。エージェントが使えていれば、下見を頼んで条件付きのビッドをしたと思います。それが無理、でもまともな踏みなら、型価の200%は有り得ない数字なのですよ。名も知らぬ日本人が私以上には飛び込まないでしょう。真相を知りたいのですが叶わぬ望みかも知れません。

支那字の切手帳の完本には意外と縁があるのです。菊3銭はサーズが流行っていた時の香港のJohn Bullに出た物は、バラシて即完売、去年、珍しくもStanley Gibbonsで買ったのが大白1.5銭の9ペーンと半ペーンの極美のほぼ完本、状態が良いので何人かで競ってくれるかなと思ったのですが、一番期待した人は既に完本をお持ち、それ以外の田沢のトップクラスの人も既に皆様お持ちだったのです。2ペ―ン要るとか、状態理由の買い替えの需要は有りません。2年ほどかけて、やっと弊社のオークションとヤフーと郵趣ウイークリーの広告と駅前バザールとスタンプショウ広島と全日展とで何とか完売になりました。切手帳は「郵趣ブックレット」古家・天野氏の記事が極めて正確です。需要の根拠は有るか無いかだけなので、直感の飛び込みで高買いすると怪我をするのです。捻れる要素はないのです。

最近の私のビジネスでは、海外のオークションでの仕入れは極めて少なくなりました。使うエネルギーは最盛期の100分の1でしょう。年に数回の国内の大きい買い入れと、それ以上の超ハイグレードのビッグコレクションのオークション記事の編集で、仕事量が目一杯なのです。でも縁あって、1年ぶりにドイツのオークションにビッドをしたのです。物は支那字菊外信用の完本です。ここらは私が、かなり評価できるマテリアルです。オークションのビッドスタイルで久しぶりにCパターンでやりました。私の値段以上で買える物ならやってみろ!です。結果は入れた値段の6掛けで、Aパターンのこの位で落ちるだろうの、ジャスト2倍になりました。でも、結構な良い値段、誰が2番札でしょうか。フレッシュな極美品、手にした3分後には解体完了です。JAPEXセールに出品いたします。切手帳のステータス、持っているかいないかだけと書いたのですが、ここで訂正いたします。バラエティーが有るのです。画像で載せた3点をじっくり見てください。加刷の幅が違うのです。右切手の支那の右端から左切手の名の字の左は端まの距離ですが、2銭が27㎜、4銭と10銭が28㎜です。この差は大きいバラエティでしょう。櫛型C13x13.5の中央部の広幅が理由なら、五分の一かと思うのですが、その検証は出来ていません。今回の完本で言えば、2銭は狭幅、それ以外は全てのペーンが広幅でした。切手帳で無い櫛型目打の100面シートを調べれば面白い発見があるかも知れません。現時点での情報でも、支那字菊の切手帳、全額面で広幅と狭幅を集めないといけないのですが、一額面でも並べて講釈を書けば、立派なスタディになるでしょう。誰か出来る人いるのでしょうか。支那字菊の場合、10銭は13×13.5は全てが切手帳と思って良いのかも知れません。4銭はどうでしょうか。C13x13.5で横3連か横耳付の単片が出れば一発で疑問は解決です。現状はまだペンディングでしょうか。もう一つの懸案ですが、支那字外信用で6銭の可能性は無いのでしょうか。ペーンは無理でも、単片のC13x13.5が1枚出てくれば一発回答になるのです。気合を入れて探すことにしましょうか。

20190731

 

 

 

何処へ

会社の引き出しを整理していて、懐かしいオークションカタログを見つけました。

20190730

1985年3月19日のアメリカ・フィラデルフィアのEarl P.L.Apfelbaumセールです。Japan Specializedで、カタログを開いた瞬間にパスポートの取得を決めました。海外へ出たのはこの時が最初、結果としては私のビジネス=人生に於いてのターニングポイントになりました。もう35年経ったかと思うと感慨深い物が有ります。その時のオークショニアのマーチン・アプフェルバウムは、数年後にロンドンからNYへのパンナム墜落事故で大西洋の藻屑と化しました。Walnut  Streetの立派な造りの社屋も既に在りません。時の流れを感じます。時を経て、クオリィティの高さではこの時以上の海外のオークションに幾つも参加したのですが、面白さとボリュームという意味ではこのセールが白眉です。突然の発作的な飛び込みで、海外のフロアセールへの初参加ということも有り、忘れられない出来事でした。今の立場と知識ならもっと別のやり方が有るし、参加メンバーもがらりと変わって、セールの色合いは全く違っているだろうと思います。あの頃は日本切手なら、後先を考えずに無茶買いしても大丈夫な時だったのです。整理して商品化さえすれば、買い手が沸いて出てくれたのです。

海外オークションへのビッドは、それ以前もやっていたのですが、このセールの時に得た人脈を元に、ビジネススタイルが劇的に変わりました。当時の私は世界中のオークションハウスを網羅していて、多分300社位と付き合いが有りました。ロットを買っても、トータルOKで、時間を掛ければ何でも捌けた時代でした。日本切手に関しては、売れない物は、偽物の傷切手だけ、手彫の偽物と本物を間違えなければ、それで勝ちだったという印象が残っています。おまけについて来る中国切手でも残しておけば、一財産だったのにとちょっと後悔をしています。今とは全てに於いて景色が違ったのです。この時に隆盛を極めていたオークションハウスは随分数が減りました。イギリスは全滅、アメリカで残っているのは、SiegelとCherrystoneだけ、欧州大陸の国際的な大手ではCorinphilaとHeinrich KoehlerとDavid Feldman、自国特化組ではスイスのSchwarzenbach、オランダのVan Dieten、スウェーデンのPostilijonen、フランスのRumet位でしょうか。Gaertnerの姿は当然ながら何処にもなく、Inter Asia のジェフリーは、イギリス=Robson Loweとスイス=Corinphilaの異なるオークションハウスを、雇われのテクノクラートの立場で行ったり来たりしていたのです。数十年を経てのオークショニアとしての勝ち組か否かは、中国切手を何時扱ったかに収斂するのです。個人として、当時も今も現役で元気なのは、ジェフリー・シュナイダー、アンディー・ホルツ、デービッド・フェルドマン位しか思い浮かびません。ヨーロッパで日本物を私とバチバチやっていた、ジュリアン・クライブ、ルドルフ・シャピラ、コン・ウエン・スンらは皆黄泉に旅立ちました。超ローカルの日本切手専科の私が今まで生き残れたのは奇跡かも知れません。

1985年前後というと本当に物が有ったのです。マイオークションビジネスのスタートとすれば、何時でも、始めるのがほんの数年遅れたかなと思っていたのですが、結果とすれば、私はギリギリで宝の山に入れていたのでしょう。利幅の多寡はさておいて、良い物を随分扱えました。手にした物はしっかり結論が出ているのですが、買えるチャンスが有りながら、時が味方してくれずに買えなかった物で忘れられない珍品が有るのです。田沢が2点と朝鮮字菊のエンタです。何処かへ消えました。追いかけて、30数年マーケットを見続けているのですが、欠片も見ることが出来ません。久しぶりに当時を思い出しながら書いて見ましょうか。

1985年の少し前、多分1983~4年なのですが、ニューヨークにA5サイズのモノクロのメールオークション誌が有りました。【GOLD MEDAL  MAIL SALE]、親会社が著名なオークションハウスのJ&H Stlowです。全世界のゼネラルコレクションをばらして、シングルアイテムのみで、写真を載せ、スコットカタログ値を書くというスタイルでした。普段は殆ど買う物は無いのですが、吃驚ネタが有りました。大白25銭の単線12の未使用です。糊付ですが、NHでなくLHかOH、写真でもフレッシュさが見て取れました。100%大白です。偶然ですが、その時、丁度手元に掘出しで買ったばかりの旧小30銭11Lの白抜Yが有りました。全く同じタイミングで、イギリスWalesのWestern  Auctionに、菊の18完の未使用のロットの中で、50銭C12x12.5が出ていたのです。夢を見ました。目打の目玉を3枚並べて売ってやろうと狙いを定めました。菊の50銭は、かのオークション会社の本来のセールの場所、ウエールズでやってくれていれば、私が買えたと思います。でも偶然にもロンドンでセールが行われ、北園君が場に出て、私の札を頭撥ねしたのです。直ぐに東京のサンフィラのオークションに出て、天野先生が落として、今は別の菊のトップコレクターの目玉です。Westernと言えばこの時の少し前に、AIKOKU-MARUの葉書の書留を買ったのがここでした。Walesはローカルだし、オークショニアのP.A.Wildeの方針が、出品者の書いて来た記事をそのまま載せる、不落札でもペナルティー無しという時代錯誤の運営をしていたのです。達者な在英のブローカーが、意図して作った日本のクラシックのコレクションを毎回出品していました。物は本物で、数十行の記載は基本的に正しいのです。型価の20~25%位の最低値だから、可能性を夢見る日本人は随分引っ掛かったと思います。私も何度か買ったのですが、直ぐにネタが割れました。政府印刷20銭の縞(彼が亡くなる少し前に、私が呼ばれてプラーベートで買いました)を掘り出す知識が有る人間が作ったロットなので、何らの宝も残ってはいないのです。想像を逞しくしてのブラインドビッドはやってはいけないのです。何度が授業料を払ってリスク回避の術を身に着けたのです。このスタイルを受け入れるオークションハウスは例外なく廃れて消えていきます。以って他山の石とすべしと肝に銘じています。

アッペルのフロア会場で、初めて直接出会った北園君と菊の50銭で盛り上がって気分的にも納得です。その後はお互いに完璧に利益を共有できる仲になりました。菊50銭はその後も随分枚数が増えて来て、10枚ぐらいは有るのかな。恐らく全てが海外での掘出しでしょう。最早ニュース価値も有りません。でも、大白25銭は未だに引っ掛かりが有るのです。ステータスが完全な未使用はまだ見かけません。当時でも売る場合の相場は100万円だと踏みました。逆算して、結構いい値段でビッドをしたのですが、落ちていないのです。メール専門のオークションだし、自分の物を売る会社なので、結果表を出しません。諦めないといけません。ところが、数か月後に、同じ物が再出品されたのです。再度のチャレンジで、同じぐらいの数字をビッドしたのですがその時も駄目でした。日本には戻って来ていないと思います。ミステリーです。この時の私はオークションには全部メールビッドを入れていたのですが、アッペルセールで良い人に出会いました。アメリカ人のオークションエージェントです。いろいろ教えてくれて、今も親しく付き合っています。フロアセールだけでなく、メールオークションだって、何とか手配も出来たのに・・と聞きました。Gold Medal は何時しか消え、J&H StlowもNYを去りました。廃業か倒産です。縁者がミュンヘンの大通りに店を出していたのですが、ここも数年前に店を畳んだと聞きました。あの単線12は何処へ消えたのでしょうか。

ごく最近に、奇妙な情報を貰ったのです。大白25銭の単線12がE-Bayに出ている。値段を教えてくれという依頼でした。やっと来たかと思って、知ってるままを教えたのですが、あにはからんや、残念な紛い物だったのです。聞いてきた人はWDで被害なし、でももうお一人おっチョコチョイがいたのです。信じて落して、弊社への出品物として持って来たのです。おかげで現物を拝むことが出来たのです。丁重にお断りしたのですが、良く買うよ!的なものでした。E-Bayの2点が同じ物かどうかはトレースできませんが、35年前の物とは全くの別物です。大白25銭にはNGや穿孔正の糊落ちは有るのですが、是非しっかりした物を目にしたいと思います。私が見つけた、あの状態なら複数あってもいいはずです。

南洋庁のエンタイア

それでは画像をお見せいたしましょう。私の一番のお気に入りが、南洋庁設置=民間移管後の郵便印のバラエティーです。大正11年4月1日がその日なのですが、それ以前の海軍軍用郵便所から、替わっていて当然なのです。荻原さんの豪華本には、ポナペ11.6.11海軍軍用郵便所が発表されています。なぜ【軍用印】を使い続けているのだろうの問題提起をされていますが、結論は導かれていないのです。荻原本では、それ以外の局の南洋庁移管後すぐのデータは皆無です。興味はお持ちだったけれど、該当のマテリアルに接する事は無かったのでしょう。要するにそれだけ少ないという事なのです。他の文献でもこのテーマでのトレースはされていないと思います。手元に3点有るのです。トラック11.5.13【海軍軍用削り】郵便所、アンガウル11.5.29CE欄黒潰し=印顆のCE欄をを逆に植字(郵頼の戻しなのでしょう、文献上で同じデータが見られます)、ヤップ11.6.9C空欄E欄無です。日付からして、ドンピシャな使い方だと思います。他の局も含めての、この時期のデータを見たいのですが、荻原さんの手元にないという事は、他所にも殆どないのでしょう。結構安くない最低値ですが、オークションでどう評価されるかが楽しみです。
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エンタをパラパラめっくていて出て来たのがD欄文字入り、取りあえずは画像をご覧ください。こちらは、単純にマルコフリィーのマテリアルです。有る・無し以上のひねりは有りません。

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最後が、昭和切手の最珍品のカバーです。マラカル17.5.18郵便局。富士桜20銭凹版ペア貼小包・パラオ群島コロール町マラカル発、東京宛1キロ小包なので、料金は40銭でピッタリです。リーフにきっちり収まります。私が付けた値段は、マラカルが100万、小包が50万、足して150万です。JAPEXセールのラストロットは決まりです。

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今回お見せした以外にも、艦船郵便所から、機械印、ローラー印まで幅広くあるのです。じっくり勉強して記事を書きたいと思います。
全く別口ですが、手彫の大きいコレクションを預かりました。オークションとプラーベートの取引を併用して3年間で捌きます。端緒は7月14日(日)の錦糸町の全日展の会場の弊社のブースです。私はこの日のみの行商・出稼ぎで参加しています。お越し下されば、目玉品をお見せいたします。

南洋群島の郵便史

手元に南洋庁関係の珠玉の出品物が届いています。知る人ぞ知る、日系三世のアメリカ人のコレクションの一部と聞いています。JAPEXセールでの目玉になるレベルです。内容は後述しますが、平成17年2月16日に上梓された、豪華本を紐解きました。その時は意識していなかったのですが、著者の荻原海一さんに、是非とも手に入れたいと懇願されて、お世話した2点と、お役に立てなかった1点を改めて思い出しました。1通目は、荒井国太郎氏宛の印顆郵頼の戻し便、1次昭和7銭、10銭貼の書留、マラカル郵便局消です。値段問わずのご希望なので、持ち主に滅茶値をぶつけましょうかで話を通したら、荻原さんは値切りもせずに取引成立、相場の3倍位の値段でした。私は売り手のエージェントとして1割手数料を頂き、買い手サイドのエージェントへも同じ数字を払いました。よくぞ、付けも付けたり、買いも買ったりの取引でした。オークションで勢いで行ってしまうなら有り得ますが、プラーベートなら起こり得ないディールです。

2点目が、本の最後にさりげなく載っている、不発行3銭貼、白金消、京城のガロア宛の実逓カバーです。金井スタンプのオークション、多分グルックナーセールだったと思うのですが、荻原さんは何方が買ったかをご存じでした。何故か私が指名されて、お持ちの方に声を掛けたのです。【玉芙蓉】氏です。駄目元のつもりで、最初から素っ頓狂な値段で、買い手の名前も出してお願いして、商売成立。取り持ったのは確かですが、もしかしたら、ご本人間で直接のディールになったのかも知れません。私が仲介したのなら、手数料位は貰ったかも知れませんが、全く記憶にないのです。

頼まれて、買えなかったのが、ファイスの風景印です。クサイとファイスは、幻の風景印の使用局でした。ところが、この本が出る1年前の2004年1月にアメリカのE-BAYに出品されたのです。情報を得た荻原さんが、躍起になって、100万出すから探せのご命令でした。人づてに私の耳にも入ったのですが、その時はタイミングが合いませんでした。古いフィラテリストに載っている、橋本章さんの報告の物は行方知れずですが、日系三世氏も確かにお持ちなのですよ。今なら、取れるのですが、今度は買い手の顔が見えないのです。

南洋庁の郵便史のコレクターでは、鎌倉の荻原さんと、八代の小川正義さんが有名です。私にとっては、実はもうお一方のインパクトが強いのです。駿府のバンカー、私が知遇を得た時点では、頭取をリタイアされて会長さんでした。この方もイニシャルはOさんです。オークションの場合、小川さんは場に出て落し切る、荻原さんは、代行者に落して来いのオーダーを出す、駿府のOさんは、メールビッドで一桁以上高い数字を入れて来る、3人がノンリミットのビッドなので、当然ながら凄い値段になるのです。確か、今は無くなったサンフィラだったと思いますが、YARUTO(或はJALUIT)のエンタが、260万だかで落ちたことが有るのです。変な如何様でなく、3人のOさんがぶつかって、駿府の人が500万入れていたと聞きました。お三方共に既に鬼籍入り、ガチンコのバトルの期間はそれ程長くなかったかも知れません。

今手元に来ている出品物、世が世であれば、100万超の物が一杯有るのです。3人がぶつかれば1000万でも有り得ます。近日中にここでお見せいたしましょう。誰もが納得してくれる珍品ですが、問題は買ってくれる人が居るのかな・・なのです。