その名前は、バーゼルのメリヤン宛の旧小判貼の素敵なカバーでお馴染みです。。ここも横浜の貿易会社で切手を扱っていて、ニューイッシューを輸出していたと思います。印刷でなく、宛先文字が綺麗なペン書きなのが好ましいのです。横浜からバーゼルなので、デスティネーションも料金も捻りは無いのですがルックス故に人気が高いのです。詳しい経緯は知らないのですが、郵趣のマーケットでのメリヤン物は、スイス・バーゼルのハッセル婆さんから出ています。時系列の並べればちょっとした矛盾もあるかも知れませんが、体験した事実を軸に推測を交えて書いてしまいます。私のビジネスに於いての、不戦敗・ボロ負け・歓喜・負けても納得、そして今・・です。

ハッセルのメリヤン小判で有名なお話は、Dr.市田左右一氏が買った、ドンゴロス一杯の紙付でしょう。1980年をそんなには遡らないと思います。きっかけは、ドイツ・エッセンでのアジア切手展?だったような気がするのです。切手のコレクションのテーマとしての【アジア】をメインにしてなのか、何かのイベントとのタイアップだったのかも知れません。この時点では私は全くの門外漢で部外者でした。そんなお話が有る事すら知りませんでした。でも、北園君は行っていたのです。随分と日本物が有ったと聞きました。名前は売れていないけれど、アジア物に強い欧州のディーラーが沢山出ていたのです。ベルリン・ビスマルク通りのシュルツundシュラーゼ、アムスのフィル・ツワルト、同じくヨハン・クラベンダム、リヨンのペリューは知りませんが、大陸中のアジア物を扱うディーラーが集結していました。そして、バーゼルのハッセル婆さんも。北園君にも声が掛かったのです。自宅においで、JAPANはもっとたくさん有るから・・。市田さんがドンゴロス小判を買ったのがこの時かどうかは判りません。でも、結構良い読みかなと思います。北園君は千載一遇のチャンスを逃したのです。私は当然不戦敗、敗者復活の術も無いと思ったのです。今にして思えば、エッセン展あたりで、ハッセル婆さんは店じまいに入ったのでしょう。色んなところで物を目にするようになったのです。

1980年より少し後に、私は海外でのオークションのビッドする術を覚えました。スタートして本当に直ぐ後です。アメリカ・ミシガンのちっちゃなオークションで驚きの出会いが有りました。このオークションハウスは今は有るか無いか分かりません。Robert E. Lippertという名前です。あんまり買った覚えが無いのですが、忘れられない1通のカバーが有るのです。物は朝鮮字完貼 局はNINSENかFUSANのどちらかです。日付は今も目に焼き付いています。30・SEPT・00、現地の郵便局長差し出しで、バーゼルのメリヤン宛、そこそこ大きい封筒の書留です。日付がポイントです。朝鮮字11/2銭発行の前日です。完貼りだけれど、勿論11/2銭は貼ってません。中身は翌日発行の新切手の二つ折れシートだったと夢見るのです。この時でも物の希少性は判ります。でも、オークションのEstimateの値段に引きずられてしまったのです。カタログには、スコットの値段が出ていました。使用済の数字です。11/2銭抜きなので、300~400ドルだったかな。頑張って10倍も入れたら落ちるかな?・・でも、一声負けてしまったのです。朝鮮字の完貼りは他にも有るのです。肥後増雄さんが持っていた物と混同されることが多いのですが、これとは全く違います。それ以降もずっと、意識して出てくることを待っているのですが、杳として行方は不明です。私が負けた相手は日本人ではないような気がします。一声違いでもボロ負けです。

良い物を見つければ、飛び込まないと勝てない事を実体験出来たのです。1983年だったかな、ドイツのマイナーなオークションハウス、Waigand & Waigandのモノクロの写真版に赤二の使用済が10枚程並んでいました。全部目打が13で、ボタと◎と電信印、ボリュームは2~3万枚と書いてあったと思います。値段は数百マルクだったでしょう。直感で買いにかかったのです。この時点でドイツ人のオークションエージェントを使っていたので、数字でなくてプラスアルファの条件を付けたビッドをしたのです。外人さんは日本の束は買いません。こんなマイナーオークション、誰も知らないでしょう。ただ一人を除いては。日本からのビッドには絶対に負けない数字で預けました。参考値の数百倍、予想通りで期待以上に一桁安く落ちたのです。誰が入れるかが分かっていたから、エージェントを使ってこそやれた勝負なのです。明治21年限定の赤二の万束が2つです。藁紙が皆無、基本的に郵便消で全国網羅の紙付でした。バーゼルから零れた、メリヤン小判だと思います。ハッセル婆さんは商売を止めたのかな。ゴミだと思って捨て値で処分したのでしょう。物が着くのが待ち遠しくて・・・、水剥がしで水が真っ赤に染まりました。

スイスのウイルのInterphila AG、ジョン・ポール・バッハがオークショニアでした。当地の大手4社の次の次に位置するオークションハウス、ここも今やありません。最後のメリヤンのマテリアルが出たのです。ハッセルでなく、メリヤン自身の手彫のコレクションだと思います。1銭MLLのペア・〇郡、200文のリタッチを含むペア・白抜神戸、基本的には使用済で良い物が目白押し、30万ぐらいの参考値、この時になると、ある程度メリヤンの赤二を売った利益が有ったし、オークションでの飛び込み方も分かっていて、良い値段でビッドしたのです。落ちるかなの数字でなく、売りたい値段にプラスしてMaxの数字を切るのです。自分が買うならMaxプライスより安く落ちる、負ける場合は自分の値段の上で買っていただく。安くは買わさない数字です。700万だったかな。でも、一声負けました。私が場で負けた相手は北園君、ノンリミットで代行札を預かっていたのです。依頼者に随分と嫌味を言われたと聞きました。

フランスとスイスと、40年程昔に戻っての旅でした。今度は大阪での今のビジネスを書きましょう。東証マザーズ上場の似非同業者「買売株式会社」、一枚残らずパートのオバちゃんが1銭まで評価する真面目な「切手専門買取屋」さん、数字を並べて遊びましょう。実際にこんなことが有るのです。