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2011年6月14日(火)

『大津小舟入・・』
日専に書いた記事の反響は、有るような無いような、なかなか微妙な状況です。こうすれば全てが解決と言える絶対的な結論は見出せていません。でも、市場の波は、良きに付け悪しきに付け、動きを止めることは有りません。6月4~5日の弊社のオークションの会場で面妖な情報に接しました。そしてそれは、今までの例では、遠からず波紋を広げて、こちらの世界へ押し寄せて来るのです。
京都には骨董・道具市が幾つか有りますが、昨今は一般的には、「紙物」=エンタや葉書は出ないのです。蔵を潰した流れで、道具や書画骨董の連れで出てくるケースはあるのですが、エンタ類の単独出品は、場の主催者が嫌がるので殆ど出品されることは有りません。その理由は、個人情報の関係なのか、競りに関わる面子が少ないから値段が伸びないから廃れるのかは、現時点では確認は出来ておりません。ただ、結論としては、1箇所の市を除いては最早、そのスタイルでの出品は無くなっているとのことです。その例外は、日専にも書いている、「市の竜」の出所です。
またしても、そこで竜のエンタが3通出たのです。48文横ペア貼り、100文貼り、草津と西京の検査済・・。初い蔵出しの竜のカバーの風情です。でも今の道具・骨董のマーケットの実情から判断すれば、見るからに、仕掛けて作った如き、取って付けたような出方です。ここにそんなものが出て、いったい誰が買うのかな?
競りは声掛け発句で、元気な若者が嫌味でチョッカイを出したのが、お遊び値段の35万、当たり前の如くいつもの輩が、上で撥ねて、落ちた値段は40万・・。蔵出しには似つかわしくない非常に綺麗な状態とか。あたかも、そのまま直ぐにオークションで出せるようなコンディション・・。普通なら、最初から、お天道様の下の郵趣シーンのオークションに出るでしょうに。
宛先が何れも、「大津小舟入・枡(升・舛)屋佐助」、一連の明らかにダメな「水口=みなくち=検査済」と同じ宛先です。この宛名は相当な量の封筒が各年代で蔵出しで出ていて、竜文から丸一までが確認されています。日専の記事を書く時の検証で、或る時から、住所の表示は小舟入から平蔵町に変わり、屋号も桝屋佐助から平田佐助になっています。竜文時代では、「小舟入りの枡屋」でないといけません。今回の草津他の3通は、必要条件を充たしています。でも、仮に悪意が存在したとしても、私の日専の記事を読んで浅知恵を働かせれば、まさか今度はチョンボはしないでしょう。
さあ、突然出現の3通の竜文カバー、落ちた値段は本物ならば滅茶安だけど、どういうパターンで陽の光を浴びるでしょうか。今度の国際切手展にギリギリに間に合う、どこかのフロアオークションに出たりして?物を見ない情報のみでの記事なので、憶測、推測、仮定の要素のオンパレードです。責任ある結論は出せません。
今、書けることと言えば、郵趣研究100号(近日発行)の丹下甲一氏の記事の続編にかなりのヒントが出ています。3通の内の少なくとも1通は、朱色の西京の干支印が押されているらしいのです。この印の顔料を分析すれば、かなりの確率で真偽の判断が出来るのです。今のタイミングで、この記事を書くには少し躊躇を感じます。ギリギリ出品へのデッドラインが微妙なので、物が危険を察知して引っ込んでしまうかも知れません。でも、実際に起きる事実の方が私の思惑を凌駕することがままあるので、ドキドキしながら待ちましょう。カバーの真偽の確定は困難かもしれませんが、マテリアル自体の劇場型出現の有無は、7月初旬にはっきり結論は出るでしょう。触れ込みは、最近出現の「初い=うぶい市の竜」として。くれぐれも情報に接してない純情な方には、惚れ込んだからといって、飛込みでは手を出して欲しくないのです。ヤフーで一時期活発にご活躍の、お父上のコレクションを処分していた、問題の「tomopu・・・」は依然利用停止中。終わったデールは闇に埋もれてしまっていて、何が起きても誰も助けてはくれません。十二分にご注意願います。

2011年6月2日(木)

『ジェムス・ベンドン UPUみほん』
前の日曜日が丁度、弊社の東京下見会だったので、古家氏の他に山田廉一氏に会い、気になっていた資料の提供を頼みました。直ぐに送ってくれたので、約30年前のオボロゲ記憶を時系列に並べても、チョンボのない記事を書けると思います。
結論を先に書けば、前述した物は、いずれも「UPUみほん」で表現される、加入各国が未使用切手をジュネーブの当局に送り、該当国の言語のゴム印を押して、パクボー郵便物が入ってくる国に送ったと解釈しています。ベンドンの立派な文献が英語で出ています。
SPECIMENは英領東アフリカのナタールとべチャナランド、ULTRAMARとAMOSTRAはポルトガル領のアフリカ、COLONIASとESPECIMENはスペイン領アフリカだと思います。以上は後述するひとつの資料から導きましたが、別ルート=ジョージ・アレビゾスのオークションに、菊5円・10円を沢山貼った、MADAGASCARのそれが有りました。共通点は、全てアフリカでヨーロッパ列強の植民地、完全にグループ化できるので、出所は「UPUアフリカ局」から流れ出たものでしょうか。
この種のマテリアルの日本への登場は、1980年頃のロブソン・ロウが、東京の郵趣会館でやったフロアオークションでした。U小判・新小判13完=SPECIMEN加刷が7点のカットに貼られていました。不幸なことに同じセールに、平和記念の無目打=ワイドマージンをカットした変造品と、平和記念が台のトンボ偽加刷が出ていて、SPECIMENもこの時点で誰も素性を知らず、何のことか分からず、セールでは不落札になったと思います。
その現物が回り回って、弊社のオークションに出てきました。30年の時を経て、間に少なくとも2人のコレクターが入っています。そして、それには1981年5月15日のBPAの鑑定書が付いています。ベンドンの本のタイプではナタール型で、同じタイプが別額面でもたまに出てきています。菊と一部の記念切手の場合が多いのですが、動機的に偽物は作るメリットはないので、見つければ買って良いでしょう。ゴム印で簡単に作れるから、まやかしだ、とブッタ切るのは収集マナーとして貧困です。分からなければ検証すればいいのです。ただ、ナタールとべチャナ・・の区別は今でも私では無理なのです。あのセールの時点では、日本の郵趣会では誰も海外用の異タイプのみほんの存在には気づいていません。
その後、私がオークションに出品した、かんむり10銭のSPECIMENが、落札者のエクステンションで、日本郵趣連合の鑑定に出ています。鑑定不能か資料不足で判断できないとして戻されました。この時点で、私は何故か根拠のない自信が有ったので、RoyalPhilatelicSocietyの鑑定に出しました。結果は真正になっています。
同じタイプが旧韓国と旧中国切手でたまに見かけるので、このマテリアルは、JAPANのそれというよりも、英領切手の分野で判定が行われます。今なら、多分日本郵趣連合の鑑定でも、OKはでると思いますが、あの時点では止むを得ない判断です。
次の出現が、20年以上前に、1899年10月発行の菊切手数種、縦5連のULTRAMAR加刷、ジャンボ・ゴトーさんが、ポルトガル(領)のUPUみほんとの触れ込みで、アメリカで見つけて、今は亡き柘植の森下さんに売っています。最初期印刷の素敵なクラックの入った糊で、昨日発行されたばかりの雰囲気でした。何故か菊封皮の2種にも複数の同じタイプが見つかっています。ピカピカの状態を見れば、まやかしとは誰も思いません。随分立派な値段で動いています。ペアと単片3枚に切られて、最大ブロックのペアは、20年の眠りの後に数年前に弊社で陽の元に出ました。これも、今度の国際展出品者のコレクションに入っています。
切手やステーショナリーが出れば、最初にUPUに送るべしという決め事が有ったのかもしれませんが、U小判・新小判は100面版の目打13です。出た都度直ぐにではなく、ある程度の期間を纏めて送ったのでしょう。そのルールは推測するしかなく、検証不可能です。
SPECIMEN=ナタール・べチャナ・・とULTRAMAR=ボ領は、その後も希に出てきています。珍しい割りには、値段も伸びないことが多いのです。でも、買っている人は、私の説の信奉者でなく、独自にベンドンの本の情報ぐらいは知っていて、鑑定云々抜きで買っています。正しいマナーだと思います。
もう10年位経ったかも知れません。イギリスのクリスティー(ロブソン・ロウかボーンマスかも知れない)に、そそられるロットが出ていました。参考値は数万円、全頁の青焼きのコピーを貰いました。状態はぐちゃぐちゃ、でも私の好みに合致する。フロアビッドを頼めるので、自分が買うなら限りなく安く落ちる、負けても納得、私の評価の上で買う人がいるならどうぞ・・の数字で入れました。マジで、商売にはならない数字を出したのですが、フロアできっちり負けました。希少性は抜群だし、ひねっていじりたいマテリアルですが、状態ゆえに商売にはならないものなのです。負けて納得の結果でした。
このセールの以前に、同じ様な物が、ハンブルグのエドガー・モールマンに出ていました。不落札になった現物かも。イギリスの物は落した人から収集分野のマテリアルを買った人もいるのですが、皆が同じことを言ってました。「高い」「状態が・・」、それは仕様がないことなのです。原価が原価ですから。元がとれたのなら、立派な商売をやってのけたと思いますが、震災や阿蘇の小型はまだ残っているかも・・。我ながら、変なことを良く覚えているものだと感心しています。場ではいつもながら、2人のエージェントがスタート値から2桁変わるまで、延々と競ったはずですから・・・。
実は、オークションが終わった後、コピーを私が持つよりは役立ててくれそうな、古家氏にあげたのです。全ての情報は公には記事の形では開示してくれてはないのですが、頼んだらきっちり見つけてくれました。その意味で私の取った選択は正しかったと証明されています。自分では保存せずに捨てますから
感謝を込めてデータを出しておきましょう。
ULTRAMAR 菊5銭・8銭・15銭・20銭・25銭・50銭・1.5銭紫・3銭赤・6銭・5円・10円・東宮婚儀。
COLONIAS 旧毛5厘・1銭・1.5銭・2銭・3銭・4銭・5銭・10銭・20銭・25銭・1円・5円・10円・震災9完・1次風景3種。
SPECIMEN 芦ノ湖9.5銭・赤十字会議4完・愛国3完・昭和毛紙3完・乃木2銭(乃木馬鹿くん、買ったかい?)・1次富士箱根4完・関東局30年3完。
ESPECIMENUPU加盟50年3種・昭和大礼4完。
AMOSTRA 阿蘇4完・同小型シート。
このデータで推測すれば、この現物に関しては、該当国へ配った後にそこから流れたというよりも、本部に残っていたものが出てきたと思います。他にチラホラ出ている物とは性質が異なるユニークな物でしょう。私の経験では、注意しているのですが、SPECIMEN・ULTRAMAR以外は接した機会が有りませんが、そのチャンスが有れば、飛び込むと思います。

2011年5月27日(金)

『デジャブー』
最後のテーマに入る前に、追加で分かったことを書いておきます。1次昭和の「活版みほん」のタイプ2種は、発行日ベースでは、S14.9.21と14.10.16の間にタイプ「18」からタイプ「9」に切り替わり、安定度も高いと思っていました。2次昭和の東郷5銭の17.4.1以降になると、1額面での複数タイプも高い確率で出現してきますが、1次昭和に限定すれば、1額面1種類のみの存在を否定するデータは見ていません。ただ、同じ時期の「国立公園」で気になるデータがありました。S14.9.21-17.4.1の期間に、大雪山・霧島・台湾の計16種が出ています。これが全て1昭後期の、タイプ「9」なら問題は無いのですが、山本さんのデータでは、次高20銭が「18」になっています。他の3種は要チェックです。そして、私の手持ち品でも、霧島20銭・大屯2銭が「18」なのです。国立公園は発行政策上、かなりの期間で、前もって事前準備されたと解釈すれば、旧タイプの後年使用も有り得ます。大量の作成ではないので、この時期なら1額面1タイプが自然です。ただ、山本さんのデータと、私のそれを合わせれば、同一の台切手で、「18」「9」が存在してしまいます。同一シートに混在か、異タイプ複数シートが存在かは確認出来ていないのですが、上記の16種類と、小型シート、それに7銭より後の発行の1次昭和でも異種存在の可能性が否定できなくなりました。我々のデータも、極めて限られており、標本数はお互いに1~2点のレベルなのです。お持ちの方は異種の存在の可能性を前提にして見直して下さい。
数ヶ月前の「JPS菊田沢部会報」に山口充さんが書いていた、支那字大白・高額5円10円の「みほん」が台湾使用だという論文には、結論的に全面的に同意できるし、ある人から、その記事の存在を聞かされた瞬間に、読まずに、あ、あれは「台湾」といいました。私の認識では、ブツの支那字加刷は明らかに「偽」、切手と「みほん」本物、でも、記事の詳細を見ない段階で、該当のマテリアルは「台湾みほん」と思ったのです。根拠のないデジャブーかなと思ったのですが、識者に聞けば、村田さんや成田さんが大昔に記事を書かれているとのこと、それが頭の片隅に有って、そのまま納得していたのでしょう。今の知識なら、発行告示の周知用みほんと、後年の比較照鑑のそれの、全く目的の違う物が存在する事実も、色んなシリーズで自然に受け容れられてます。発行当初の台切手限定とか、字体の比較での真偽の判定とは、次元の違う思想のマテリアルです。記録のある公式品の姿では無く、それがあっても、解説抜きなら疑われるし、元からそれを使えるレベルの人はほんの一握り、それ以上にマテリアルの玉の数が少なすぎます。オークションに登場したのは、2回ぐらいだったと思います。ここらは、売り手の都合でのセールストークがどうこう言う前に、自己判断で評価できる人がオークションのシーンに出たならば、まず見落とすことはないのです。結構良い値段で売れているはずなのです。ここらの記事を書いて、必要と思しき人へマテリアルが出たときに教えても、かなりの確率で、その行為が私の営業上の利益を目的とした行為だと受け取る人もいるのです。その反応を示されるなら、その人への以後の情報提供の可能性は一切消滅してしまいます。郵趣の知識というよりも感性が合わない人とのプライベートの取引は非常に無駄なエネルギーを使います。
前置きが非常に長いのですが、このテーマを書くに当たっての強い動機になった記事がありました。日専を読み解く「震災切手」魚木五夫著、28ページの、■その他の加刷です。
震災切手には・・中略・・横文字のゴム印による、“SPECIMEN”とか、その他の外国語表現の加刷などが、もっともらしい説明と共に、売られたこともありました。しかしこれらは、いずれも公的な性格のものという証拠が無く、特別に意味を考える必要はありません。・・略・・ゴム印もまた、だれでも気軽に作ることができます。確実な裏付け資料の無い物に、余計な投資をしないのが、賢明かと思います。
物凄い表現力の文章ですが、時間をかけて反論いたしましょう。30年位の間のお話になるのですが、筋の通った説明が書けると思います。
ワードは、SPECIMEN・ULTRAMAR・COLONIAS・ESPECIMEN・AMOSTRA、キーになる資料を、かつて、最も生かせるであろう人=古家美和さんにあげていて、ちょっとしたきっかけで、頼んだら見事に見つけ出してくれました。つづく・・・

2011年5月21日(土)

『2匹のうなぎ』
昭和切手の括りで、1次昭和の活版=凸版2タイプは明瞭に時期で分かれます。児玉氏の「乃木2銭」の大著では中々立派に解説されていますが、2タイプ間での切り替わりは金剛山7銭と飛行機12銭でなく、10円梅花と金剛山7銭の間に変わってます。また、この本の解説の図の内、「ん」の字体はいけません。跳ねの角度が一緒です。同一字体を並べており、最も分かりやすいポイントが「ん」のちがいだけにこの手抜きは残念です。ゴム印手押しの2タイプは、時期のみが異種の原因でなく、説得力のある理由は見つかっていません。このタイプが最初に出たときは、雑な作りゆえに疑われ、オークションでは精精、「as is」で売られていたような扱いでした。でも、菊やステーショナリーの「見本」の朱色が、台湾使用と解明されたように、検証を重ねればマテリアルが持つ素性が明瞭になってくるのです。全てのケースに於いて、強い先入観に拘って、新たな事実を疑って排除し、頭ごなしに否定するのは正しい収集態度とは思いません。
2昭~3昭の版組みの確定にはマテリアルの少なさから、相当な努力が必要です。でも、私が示唆した事実を広げれば関連分野で遊べる要素が見つかるでしょう。同じ時代の記念切手の「みほん」はどうでしょうか。これも時期できっちり分かれます。1次昭和の2タイプのどちらかのみが存在する時代の記念・特殊切手の場合は、1種集めて「みほん」はコンプリです。でも、異タイプが同一シートに存在する時代の物はどうでしょうか。手元の数枚を見ても、靖国75年は2枚で2タイプありますし、大東亜は、2銭・5銭でタイプが違うものがあります。さらには、戦争を挟んだ戦後はどうなっているのでしょうか。100面刷、記念切手、20年代の連刷の小型シート・・、雑に見ても、異なるタイプが存在します。字は崩れて来ていますが、基本的には戦前活字の流用です。さあ、何時までそれが続くのでしょう。山本さんが、「きじ航空」で調べたところ、ほぼ5タイプの存在が見つかってます。残念ながら、航空切手のコレクターでこのテーマで収集されている人は存じ上げません。戦後でも20年の前半は、タイプ違いが存在することを知った上で集めるなら、かなりの遊びが出来ると思います。産業あたりまで十分に可能性はあるでしょう。
私の経験ですが、「うなぎ」=東京切手展のみほん、極少数の製作のはずが、近年束で見つかった・・物なのですが、オークションに出品した際、エクステンション=鑑定依頼が有ったのです。活版のプレス跡も明瞭で、何の為の鑑定?が率直な印象でした。でも、結果は意外にも、「意見なし」=資料不足ゆえに判断できない・・になりました。もう少し詳しく言えば、鑑定する人の判断基準のサンプルは、関西の某郵便局ルートで貰った物で、郵政当局が出所の、間違なく本物、それと並べて比較したら、タイプが違っていた。製作数が極少数の物での異タイプの存在は疑問、字体の違い以外のトータルの印象は悪くない。だから結論としては「意見なし」になりました。鑑定結果には依頼者は対応策は取れないのですが、今回の私の記事を梃子にして、みほんのステータスを熟考すれば、うなぎが2匹で字体が違っていても問題なくOKだし、シートの中の単片15枚で違うタイプの可能性すら大きいのです。印刷のプレス跡には注意しても、誰も、字体は意識してなかったと思います。該当の人は今も元気な弊社のお客なので、今度説明して安心させてあげられます。
「みほんの偽物」は、藤田卯三郎氏が10年ほど前に一生懸命警告してくれていた、2次新昭和~産業の数種にある、東南アジア製?ぐらいしか思い浮かびません。字体が全く違っているので、比較することを前提で検証すれば間違う恐れはありません。今や値段的にも本物よりも高いし、近頃は本当に見なくなりました。私も何枚か持っているのですが、残念ながら今回は直ぐには出てきませんでした。
あと1回、書くべきテーマが有りました。「万国郵便連合・アフリカ局」の「みほん」、結構自信があるし、ハードに闘ったマテリアルなので次回、最後に纏めます。

2011年5月18日(水)

『7種で完』 

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チャートのマークは◎が山本さんの本と、今回の香港のロットの両方に存在、○は山本さんのデータ、△は香港のそれです。時間の制限もあり、それ以外の文献やオークションの資料は精査していませんが、表を作っていて面白いように簡単に埋まりました。根拠の標本数が数点から10点程度なので、あくまでラフな叩き台と見てください。その不十分な限定されたデータだけでも、一目瞭然で、1944年1月8日と6月15日で分布は明瞭に分かれます。3次昭和3銭は、山本さんの推定の民間会社製の特殊タイプとして検証から除きます。
誤解を恐れずに推測で分析するなら、40銭凹の山本本のタイプ7・8と、灰勅10銭のタイプ18には連れが無く浮いているのです。特に、タイプ7・8は、1昭~3昭の他のどの額面にも現れていません。タイプ7は「み=B・ほ=D・ん=G」タイプ8は「み=B・ほ=D・ん=H」で「ほ」のDが問題になるのです。私にとって利己的に解釈すれば、「ほ」のEとDを混同したならば、BEG=タイプ9、BEH=タイプ10で、非常に収まりが良くなります。確定の結論ではありませんが、仮説として提示して話を進めます。また、灰勅のタイプ18はこれだけ異様な「左書き」なので本稿では取り上げません。
1次昭和の後半発行はタイプ9の1種での100面組、2昭で最初の5銭は、もしかしたらそれに属するかも知れません。2昭4銭(1942.10.1)~40銭凸の9種は、取り敢えずの属性で、1タイプ又は2タイプの出現で追加のデータを組み合わせれば3種になる可能性が大です。タイプ9・10・15の3種です。2昭7銭(1944.6.15)でがらりと雰囲気が変わります。3昭5銭は7種完、それ以外も概ね5種~6種が簡単に埋まります。このグループで全て7タイプが埋まるなら同一版の実証の希望が出てきます。データの少なさを考慮に入れても、前半の3種以下の出現タイプと後半の7種タイプで版を組み替えているのだと推測します。この2グループの2種の版組が確定すれば、タイプごとの希少性も分かってくるし、それなりに収集ポイントが定まります。オークションの公表されている写真でかなりのデータが得られますから、ぜひ挑戦してもらいたいと思います。コーナー等の耳付やマルティプルが有れば大事にしてください。
私の手元のデータを少し追加します。今回のオークションに出したLot3518の灰勅10銭田型は、Pos89=タイプ15、Pos90=タイプ15、Pos99=タイプ9、Pos100=タイプ17です。また、たまたま3昭5円と10円のPos100両耳付が有るのですが、この2点もタイプ17です。同一版の必要条件は満たしています。因みに3次昭和5銭の田型は左上から右下へ9・11・15・17です。勿論このデータだけでは法則性は見つからず、何の可能性も示せません。みほんの発行数は、200とか230の数字が一人歩きしていますが、それは山本さんの「明治・大正編」に一覧が出ている、公式の配布数であり、印刷数とは違うデータです。私の今までの経験で、昭和~新昭和は、少ないものでも2桁近く、多い物では数十枚は扱っています。状態は概ね良好でした。マーケットに出てきているものの出所は、230枚の配布に属する物は、廃棄されて恐らくはゼロ、大部分が別枠の郵政の関係者の保管品、一部は駐留米軍関係者の収集品でしょう。数年前に「うなぎ」「二宮貯金」が束で、塔航空がシートで出てきました。郵政の事務次官の遺品と聞きましたが、何がどれだけあったかは確認できていません。それ以外にも、私の手の届くところに、遺品の1次昭和~の希少な「みほん」のまとまったロットが出番を待っています。だから、印刷自体は少なくとも5~10シート単位で刷っていると思います。ただ、同時にそれ程は頻繁には版は組み替えてないだろうとも推測します。この情報があれば、1種集めて完、異タイプを色眼鏡で疑って見るのでなく、料理の仕方によっては、手軽にサビの利いたリーフが作れるでしょう。どなたかチャレンジして下さい。次回で、「みほん」をテーマのちょっとしたアラカルトを書いて、このお話の完といたします。

2011年5月17日(火)

『郵便切手資料 第三輯 みほん切手(昭和編)』 

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山本義之さんは、昭和天皇に踵を接して生を受け、陛下後崩御の数日後に後を追うが如く逝かれた、正に昭和時代そのもののを生き抜いた人です。郵趣の方の単行本は、「鰹釣50銭の不発行切手」、「昭和43年“最近の通常切手の目打”」、当編に続き、「みほん切手・明治・大正編」を出されています。何れも、オリジナリティーに溢れ、今引っ張り出して読んでも、データの訂正はあっても、本筋は脈々と生き続いています。郵趣人生の最末期の数年間に親しくお付き合い頂き、鰹釣目打糊ありシート=現在逓信博物館所蔵、戦前記念切手シート(冠10銭・とんぼ1.5銭・日清5銭の1種除く)コレクション、1次円単位以降のシート・目打形式コレクションの処分をお手伝いさせて頂きました。旧毛軍事の山東省使用の希少性、旧小判5厘、1銭茶、2銭紫の2次ボタの意味とか結構話が通じた人でした。いくつかのビジネス上の後悔や、思い出深いトピックスも有るのですが、それは私の気持ちの内に留めます。
今回の香港のオークションでのみほんのロットは、震災の見本、うなぎ、犬山、S20年代の小型シートなどは、脈絡の無い変なロットに紛れていましたが、本体はストックブック2冊収納の単片類でした。戦前記念の見本・みほんは、明治銀婚・日清の見本は、布告剥がしが幾らでもあり、大正大礼と立太子礼は、戦後朝鮮から戻ってきた黒表紙本に菊・大白・旧毛・ステーショナリーと一緒に貼ってあった物がかなりの数マーケットに残っています。そして、赤十字会議~関東神宮鎮座も、木版の逓信省の贈呈帖に貼られていたものがそれなりに見受けられます。制定シートの次から・・増えるというのは、去年天野さんが記事を書かれた、西邨知一さんのアイデア=制定・年賀切手・議事堂記葉の発案者、昭和切手の図案考案にも携わった、逓信省の高官で逓博館長・・が影響しているのかも知れません。もっと整理すれば、戦前記念では、前と後ろを除いた、平和~制定の「みほん」は非常に少なく、私でも1回扱ったどうかの希少性です。それが、今回のロットには殆どがコンディションも良好で入っていました。これだけでも、ビッドの数字は結構上がるのですが、それ以外にそそられたのが、1次昭和~新昭和のそれが100枚近く、見事に揃っていました。
この内容なら、商売としての数字の踏みがメインです。今までに売った値段や、これから売れるであろう数字は簡単に出ます。@幾らで計算して、200万+ぐらいの小売値になりました。でも、数点のマテリアルに思わず目を奪われました。値段がどうこうでなく、手に入れて、確認したい欲求が膨れ上がってしまったのです。山本さんのみほん切手(昭和編)に確か書いてあったはず、でもそれは誰も追いかけず、研究も検証も進んでないであろうテーマを解明できる可能性のあるキーになるマテリアル。他の人が手にすれば、闇に埋もれてしまうマイナーな要素です。だから、ビッドでは飛び込んだ数字で入れています。負けない確信は有りましたし。
物は、2次昭和のペアが3点と灰勅の田型、ルーぺで見れば、明瞭な字体違いでした。みほんの場合、一般的にはマルティプルだからといって高くはなりません。でも2昭で字体が違っていれば話は違います。分析して、理屈か立てば、今まで闇に押し込められていたマテリアルも生き返る・・。だから、このロットが届いて、真っ先に本を熟読したのです。
山本さんは、昭和時代の逓信省の活版の「みほん」の字体を「み」で3、「ほ」で3、「ん」で2の分類、それぞれの組み合わせが有るとして、3x3x2=18、プラス派生1の19に分類されています。研究手法としては、十分に立派なのですが,ここでは1次昭和~3次昭和に限定して論じたいのです。この括りなら、「み」の1種は存在せず、「ほ」の1種は、後述しますが排除でき、3文字共に、2種のタイプに分かれます。組み合わせ数としては、2x2x2=8種で、実際にその全てが存在しているのです。
山本さんの文献の記述と記号をそのまま引用します。「み」は(A)は無く、(B)と(C)は横棒の長さを区別します。(B)>(C)です。「ほ」も(D)も外して、(E)と(F)の横棒の湾曲で見ます。(E)は真ん中が下に丸い谷型、(F)は真ん中が上に丸い山型、また1画と2画が繋がっている物が多いのです。「ん」は(G)が最後の跳ねが上向き、(H)はそれが横に平行です。それぞれ簡単に区別可能です。別窓に載せましたが、タイプ9~12、15~18の8タイプに分類できます。
1次昭和は簡単です。発行日を時系列に並べれば、1939年9月21日の10円以前は全てタイプ18、1939年10月16日の7銭以降は全てタイプ9です。切手帳も旧表紙1937.10.16はタイプ18、新表紙1941.2はタイプ9です。これらのデータは、日専、児玉氏「乃木2銭」にも正しく記載されています。ここで分かることは、恐らくは活版の「みほん」は100面で組まれ、1939年秋の発行切手の前と後で全面的に組みかえられたという事実です。それを否定する要素は見つかっていません。収集ポイントは、1種1枚、できれば銘版・・プラス別枠でゴム印手押しが是非必要・・。これにはスタディーは要りません。鷹になって獲物を狙えば成就できる位の餌はあるでしょう。でも、2昭~3昭では様相ががらりと変わるのです。チャートを見てください。

2011年5月14日(土)

『皇朝拍売有限公司』

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今の世界の切手のオークションのダイナミズムは、「新中国」に集中しています。どこのオークションカタログを見ても、赤い切手ばかり、機を見るに敏なのか、ビジネスセンスとしては必然なのか、手数料商売のオークションの商品としてのパワーは、圧倒的に中国でどのオークションハウスも主力商品としての位置づけです。更には、それでは飽き足らず、オークション会社自体がどんどん香港に進出しています。かつては、変型A5サイズの、薄~い紙に印刷したカタログのJohn BullがNo1、その他の数社は、見るのが疲れるか、ビッドをすれば後悔するかのレベルが、香港のオークションマーケットでした。
今度の横浜の国際展には、香港系のオークションハウスが4社ブースを出す予定です。Zurich Asia, Interasia Auctions Ltd., Dynasty Auctions Company LTD., David Feldman Auctionsが香港での顧客獲得を狙っての出展でしょう。何れもが、私の昔から付き合いのあったメンバーが絡んでますが、当然ながら、所在地やオークションのセールは香港でも、資本とコアな運営はアメリカ(又は欧州)でやっています。
そりゃ、今の中国切手の値段を見れば分かります。梅蘭芳の小型シートが200万、猿が単片15万、80面シートで1500万前後で動くのですから。支払いに問題があるかどうかは別にして、香港のフロアでは、本土から来たディラーが出身地が違えば会話も交わさず、勿論談合も無理で、殴り合いで競っています。一時のスイスのメジャーオークションハウス並みの10億円クラスの売り上げが有るのでしょう。値段に釣られて、物もどんどん出て来るので、欧米資本にとっては今が絶好の稼ぎ場所と見ているに違い有りません。私の方は、中国は買い入れでおこぼれに預かる・・以上の積極的にはやりませんが、香港開催のオークションというのは非常に有り難いのです。エアラインの値段は高いのですが、真夜中の帰国便を使えば、1泊2日で出かけられます。実際に、日本切手でも、かつてならスイスやドイツ、アメリカでフロアに出ていたであろうマテリアルが香港に来ているのです。だから、最近の私の海外への出張は香港がメインになりました。日程的に大いに救われています。
今回のDynasty Auctions Company LTD= 皇朝拍売有限公司の第1回セール、アメリカの東海岸の老舗のオークションハウスの子会社で、アジア物を売る為の香港セールが、3月26~27日に有りました。カタログが来た瞬間、日程を決めて、エアとホテルを取りました。小判と葉書とアキュムレーション、基本的には未使用主体、手彫なし、カバー・消印も殆どなしというちょっといびつな内容でした。ただ、写真でもそそられるものが有ったし、それ以上に写真の選択がぐちゃぐちゃで、見なければビッドは無理と踏みました。第1回のセールだし、耳慣れない会社で、日本人は誰も知らないという可能性も、少しは夢を見ていたのです。参考値は非常に安く、その100倍の数字でビッド=日程の都合でフロアに出られず、エージェントに依頼・・したものも幾つもありました。でも、私のところに、セールに行く前と後に5人以上から連絡があったし、ライバルの面子的な見落としや、マテリアルのエアーポケットは生じず、結果としては結構まともな値段でしか落ちないのです。一人とだけは、小判と葉書とアキュムレーションはこっち、未使用物は向こうで、ゆるやかな棲み分けはやりましたが。
かなりのボリュームの物を買いましたから、小判とかは、その内、表で売りに出します。ただ、今回の収穫の内、売る前に記録に留めたいテーマが一つ有りました。Lot1211 「みほん」のロットです。参考値は約20万円、私の評価はその20倍位でした。オークションの記事にはSc.222a=年賀富士山小型シートも書いていますが、それはこのロットには無く、別のロットに単独で出ていました。ま、それは誤差だし、メールビッドで記事を信じて入れたとしても大勢に影響はないのです。今回の単独のロットに、みほんの珍品クラスの不発行・制定・トンボが有りましたから、元の所有者は相当なクオリティーで集めていたようです。Lot1211 のストックブックが手にして整理にかかって、初めて気づいた事実があったのです。おぼろげ記憶しかなかったのですが、確認の為の1冊の本を久しぶりに手にしました。山本義之著 郵便切手資料 みほん切手(昭和編)=S48.9.1発行 日本郵楽会。

2011年5月13日(金)

『現(うつつ)の消印』

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ちょっと時間が出来たので、今回のオークションでの「目から鱗」ネタを2件書きましょう。何れも、随分前から温めていて、ようやく時満ちて書いてもいいかな、と思えるテーマです。まずは、異形な欧文印から。
Lot947と2650 全くの同一の消印で、ゴム2字SEOUL(逆向き)局名下 日付は27.FEB.06 と17.FEB.06IJPO上 です。台切手は菊2銭C13x13.5、印色も含めて一致しています。
私が最初にこの消印に接したのは10年ぐらい前、入手のルートから、不自然さや嫌らしさは感じなかったのですが、余りにも異様な姿で、兄弟も見つかっておらず、売りに出しても誰も認めてくれないと思って、取り敢えずはペンディングにしていました。画像の物ですが、いつの間にか2点になっていました。以前、ちょっと記事を書いたのですが、その時も早速反応が有って、それ以前、今からだと20年ぐらい前の名古屋のオークションに同じものが出て、それを買った人が画像をくれました。私個人の評価は100%真正で、夢や幻でない、実存した郵便印だと思ってましたが、それを強調してもオークションのマテリアルとしてのステータスは上がりません。正に、エンタが出るか、説得力の有るデータが増えるのを待ってました。
Lot2650は、2年前に預っていました。ただ、出品者も私と同じ感性の人で、時間の余裕をくれました。この人はこれをE-Bayで落して、しかも他に10点ほどのピースも持っています。全て、同じ印象で台切手は同じ、消印の日付だけが微妙に違っていました。この時点で、もう少し詰めた記事を書けば、信用されるのかなとも思ったのですが、タイミングが悪くてそのままになっていました。そこへ、Lot947の出品です。こちらは、瞬時での処理が要求されます。だから、私の持っているデータをそのまま書いて掲載、ならばと同時に、以前からの預り物も載せました。最低値の違いは、消印の掛かり具合の差だけです。
手元のデータを纏めましょう。私を含めて少なくとも同じ印影のマテリアルを4人が手にしています。合計で20点近くは見ています。日付は1906年2月10日~28日まで、実際はもっと絞れるはずです。台切手は、菊の2銭C13x13.5ばかり、1点だけ菊1銭が有りました。推測ですが、アメリカ宛の印刷物帯封に使われた物と思っています。消印のデータでは05年の後半から、06年の前半のSEOULの欧文印は空白です。だからと言って、このタイプの消印のみが、この空白を埋めるとは思っていません。出現した額面と、単片の数の多さと、エンタの少なさから、印刷物専用印だと読みました。SEOUL消のアメリカ宛の印刷物は、完全な物も、それなりに残っています。このタイプの実例の出現を待ちましょう。
もうひとつのアラカルト、弊社のフロアセールの極初期に扱ったのですが、U小判1銭のオンピース、ちょっと不鮮明ですが、どう読んでも、JN3上海/日本郵便局というものが在ったのです。完影でないので4~5万で落ちたのですが、今となれば、今回の菊2銭の異形の年2字と同じ、印刷物に使われた◎印と思えるのです。ポジティブは要素としては丸一の上海の前の消印と思います。こちらは、カバーは無論、単片やカットも出てきてません。疑って、諦めて持っている人、是非ご連絡をお願いしたいと思います。Fakeと思い込む理由はないと思います。もう一件は、「香港」と「みほん」のお話、数回分割で書いて見ます。

2011年5月12日(木)

『コンセプト』
PA68.MA58のオークション誌は5月18日(水)に発送します。それに先立つ、Web.でのダウンロード下見は本日から可能です。今回は、最低値の金額ベースでは過去最高、表紙は拘って、未使用のみで作りました。現存1点~片手以下の珍品が多く、存在数としては竜1銭3版の未使用が一番多く残っている?という贅沢な遊びをしています。支那字毛紙5円・10円の田型は3点目の確認だし、スペースの関係で表紙には使っていません。
要は、本当に良い物が出品物として、続々と来ているのです。出品物には貴賎はなく、ルール通りのマテリアルなら、順次処理するのですが、使える時間と、能力に限りがあり、ご出品者の思惑通りの扱いが出来ない場合もあるのです。出来る限り、不義理はしないようにはしていますが、現状の流れから見て、今のペースでは歪が出てきてしまいそうです。
だから、今後はより、効率の良い手段を採らざるを得ません。オークションのコンセプトは、安心して「マテリアルを換金する」場所を提供することが、唯一の目的だと考えます。掲載記事はオークショニアの言葉で、均一に表現して、最低値はオークショニアの経験で設定するのが、ベストでしょう。その意味で、不落札手数料の優遇制も含めて、記事なし・ロッティング・最低値一任を推奨しています。ほぼ7~8割がそうなので、十分にご理解は頂けていると思います。ただ、現象的に例外マターも起きてきます。最低値一任といいながら、掲載原稿を送れば、値段の訂正要求も来るのです。この場合の措置は、全面的な一任から外れますから、100点の内、1点でも変更の要求があるならば、全てのロットに対して、不落札手数料無料の権利は消滅します。これは、訂正でなく、最初からの指定で、1点でも最低値を指定すれば、残りの全部を一任しても、不落手数料を免除しないのと同じです。「換金のみをコンセプトとして、売れる値段はオークションのマーケットが決める数字が全て」と受け容れられない人ならば、最初から最低値を指定して欲しいのです。その場合、オークショニアの対応は、値段の無断変更や交渉は絶対にいたしません。その数字が受け容れられるなら載せますし、そうでなければ、躊躇無く返品します。余計な手間をかけることはしないのです。
ご出品者が値段に拘るというのも解ります。自分の買値が基準になる場合、他に売り先の可能性が有って、あわよくば、で天秤を掛けている場合・・等々、オークショニアが設定した値段に対して変更の可能性が、万に一つでも有るのなら、それは最初から通告すべきマターです。一度記事を書いて、編集に廻してしまえば、最低値の変更=受け容れない場合は不掲載・・という扱いは非常に困難を伴います。また、値段以外の記事に関しても、専門的なファクターを何の情報も出さずに、オークショニアに要求するのは無理なのです。桜の松田・政府、小判の紙、現行の目打形式等の、カタログで分類されている製造面マターは、それ程の見落としはないのですが、郵便制度上の要素というのは、専門家にとっては常識でも、オークショニアは、普通は覚えていないことが多いのです。わかる人が見つければ良いし、それが2人ならば、結果として高くなるのですが、義務的な要素として出品記事に書くのは、スピード優先の仕事としては疲れてしまいます。オークションの記事は、目視できる要素を表現すれば十分で、隠れているポイントは買う人が見つけて、納得して評価するべきです。特に、このカバーは、お前とこの何号のオークションで、幾らで買った・・だから、記事も値段もそれを考慮せよ・・という人がいるのです。過去の実績とはオークショニアにとっては、何の足しにもならない情報です。覚えている可能性はゼロなのです。特別なポイントを、記事にして欲しいのなら、当然ながら、自分で出品記事を書くべきです。そのまま載せはしませんが、見落とさずに編集することは出来ますから。
オークショニアは、絶対に、貴方自身にはなれないことは十分に理解して頂かないといけません。それが出来ない人とはお付き合いを出来ないし、そういう人ならは、ヤフーに出品して自己主張をしても、だれも文句は言いませんのでそちらを勧めます。仲介業としてのオークションでの、過度の期待を含めての記事一任での、後日の訂正要求は厳に謹んで頂きたいのです。

2011年1月8日(土)

行徳国宏さんの『年賀切手を集める』が発刊されました。

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本文150ページ (カラー図版4ページ含む) B5版

頒価 2,300円+300円(送料)=2,600円 にて販売いたします。