日付のデータと文献の記載ミス

Lot191 上海日本領事館宛 中継2字KOBE 10.AUG.94 日清戦争宣戦布告後上海局閉鎖直前使用例

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年号2字の初期使用はさて置いて、日清戦争での上海局の閉鎖時期と絡むのです。94年8月16日が境目です。コレスポンデンスとして一連の出品物を見れば、この日付でも届いているはずですが、着印が無いので証明できません。買った人が上手に料理すれば生きてくると思います。

Lot328 櫛型和田岬司令部内39.2.15

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日露戦時の臨時局で局の等級は2等です。郵便消印百科事典519頁の記載はいただけません。この局は開局が39年2月3日なので、丸一は無いのです。序でに書くならば、大阪停車場内の消印を丸二・櫛型としているのも間違いです。2等局で、38年12月21日の開局なら、38年中は確かに丸二のはずですが、実際は39年に入っても丸一を使っていたのです。菊と丸一に執着していた人が2人いて、絶対に探せと頼まれていたのです。竹内満寿蔵さんと塩見和彦さんにでした。何とか2枚見つけてオークションに出したのですが、お二人のコレクションに間に合ったかどうかは何故か覚えていないのです。5局の内、宇品碇泊場内、大里(だいり)検疫所内、和田岬検疫所内は、各2種類の消印共に比較的容易く見つかります。大阪停車場内と和田岬司令部内は一ケタ少ないと思います。

Lot519 〇SA/T 京都三條不足印

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日本郵便印ハンドブック243頁に、三宮として載っていますが間違いです。山崎君がミスるのは何時もの事でご愛敬で済むのですが、日本郵趣協会のそれはいけません。決定的な論文が出ているのです。【澤護先生】が如何に知識と鋭い洞察力をお持ちだっかかが判ります。確か、スタンプレーダーだったような気がします。〇SA/Tを三宮でなく、京都三條だと証明してくれています。奈良発、KIOTO・YOKOHAMA経由ドイツなので、神戸は絶対に通りません。それ以上にSAを三條だと見抜かれた慧眼には脱帽です。改めて読み返す価値が有る論文です。山崎君の「郵趣反故集」に載っていますので見ておいて下さい。

Lot877 ロールTOKIO NIPPON 19.8.35

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日本郵便印ハンドブックの229頁の記載、TOKIO NIPPONが1~2点の確認、云々はどうかと思いますが、実際に少ないことは確かです。一見して見覚えが無い姿でした。単片の欧文ローラーででデータ完読、それだけでも貴重です。なぜ少ないのか解明できれば、更に出世できるでしょう。

Lot2182 林式櫛型京城7.1.1

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日本郵便印ハンドブックも、郵便消印百科事典共に、京城の林式は9年からとしています。そのこと自体はミスでは有りません。いままで見つかっていなかったからでしょう。今回の物はどう見ても【林式】そのものです。書き込みからも7年で間違いありません。それ以上に、国内の林式が7年からなので、2年更新の最初期データと見て大丈夫だと思います。でも、でもここらあたりなら、熱心な表に出ないコレクターなら既にお持ちかと思うのですが。