2011年12月24日(土)

『dボタンと玉六ヨ』

11月2日に放送されたテレビ番組に取材協力しました。読売テレビの「すまたん・ZIP」の朝7時過ぎの各地域ローカル局製作枠の、「教えて辛坊さん」のコーナーです。私はシルエットでコメントし、その後の連絡先はdボタンで検索できたようなのです。お家に眠っているお宝というコンセプトで、読売の下請けのプロダクションのディレクターが2人やってきました。電話での事前取材が15分、直接の面談が30分、最終確認の電話が5分で格好をつけました。最初は、所謂記念切手の四天王?見返り・雁・ビードロ・写楽が、随分値上がりしているというお話でお話を作りたかったみたいですが、実情は逆、デフレ率の高い物の特集の材料にしましょうか?というアイデアで持ちかけたのです。それでは絵にならないので、「切手で高い物」しかも普通のご家庭に有るという視点で、中国切手を薦めました。「猿とパンダと梅蘭芳」、猿は当時50円が13万、パンダはポートピアでの売値100~200円が15000円になっています。相手は趣味週間に拘っていたので、今の単片の買い入れ値は、見返り1500円、雁2000円、ビードロ・写楽は10円で放送されました。ついでに水仙シートは高い時は業者の買い入れ値が1万円、それを今回250円で売りました。

意外なほどに反応があって、自分からは取材されたことは誰にも言ってないのに、知り合いで、テレビで見たよというのが10人以上いましたし、テレビの猿とパンダを持っているという電話が7人から有りました。裏番組の、みのもんたさんより、辛坊さんが好きという人が関西には多いのでしょうか。電話の7人中6人が実際やってきて、それなりの商売になりました。でも、テレビの数字=パンダの15000は、最高値の業者間の取引値、買取値は違うのです、と言っても、大阪のおばちゃん達は中々にえげつないのです。15000円で売れるのでしょう・・。安い値段では叱られます。一緒にくっついてくる物をひねって、何とかこじつけましたが。

この取材、最初は東京の公益財団法人に行ったのです。千葉さんが対応したけど、電話とE-メールでの、ズブの素人さん立案の企画でのやり取りでは無理、千葉さんが最後に切れてしまってこちらへ振ったと言っていました。東京は放送もないし、お礼のボールペンもなかったとか。でも、放送の前段では千葉さんの写真がデカデカと映ったし、高くなった切手で、秋田犬2円の財務省銘500円、バサラ大将500円のCM濃オリーブが50000円、JPSオークションの表紙の「玉六ヨ」が3000万で出ていました。3000万の是非は兎も角、玉六ヨには幾らでも記事に出来る材料が有るのですが、巷間記事になっていることは止めにして、この時の切手の裏話に絞って書きましょう。

オークションでは確か700~800万ぐらいで落ちて、2001年国際展のナショナルグランプリ作品に入っています。元の持ち主は大阪の化粧品会社のオーナーで、ご遺族が切手商に売っています。その相手は、今年私が500個のダンボールを買った人なのです。玉六はオークションに出た時点では、切手の博物館の鑑定が始まってなく、日本郵趣連合のそれに出ています。すったもんだで、結論としては意見なし、as is 条件で売りに出て、フロアで落ちた瞬間には大歓声だった?とか。因みに、その後の資料収集と検証の結果、今は玉六ヨの鑑定依頼には、100%正邪の意見が付くようになっています。墨六ヨとポジションを合わせて、更に目打を調べれば紛れは起きないそうです。ご遺族と業者の取引値は元の持ち主の買値でした。聞きましたが、野暮だから書きません。実はこの時に他の物も一緒に取引がなされていて、買い入れる際の電卓のチェッカーと他の手彫が、小さいストックブックに残っていました。未使用の高いもの、和紙6銭へ、改色1銭ト、洋紙2銭ヌ・ヲ・タがそのままの状態で有ったのです。大部分は今年の弊社のオークションで売りました。玉六は、友人関係の水原明窓さんに頼まれて出品したと聞いています。この切手を手にした方は、売らずに持っているのが大好きでした。玉六ヨも、ほんの少しの状況の差で、私が手にしたストックブックに入ったまま・・という可能性も大いに有ったのです。でも、私とすれば、カタログ値3000万円の玉六ヨを無理やり、水増しの型価基準で踏まされるよりは、トピカルのパンダで商売できた今の状況の方が遥かにハッピーです。今年のJAPEXでの弊社のオークションは、この方のストックの中国切手が目玉でした。このエピソードは次回です。