何れも、カタログの評価を超えたマテリアルです。乃木の平台のそれは、現存1点のシートを分割したもので、勿論最大ブロックです。大冊の昭和切手専門カタログの評価は上下田型揃いで150万円になっています。評価者は、乃木バカ先生でしょうか。今回の物は12枚ブロックなので、単純計算で3倍、銘付のプレミアムをオンすれば500万かな?誰が買ってくれるのでしょうか。

数字の1.5円の逆櫛(横抜)も最大ブロックでしょう。日本普通切手専門カタログでは、大人しい値段ですが、とてもその数字では収まりません。理想のルックスのマテリアルです。

能面50円は、上記カタログでは、「306vaの逆抜櫛型目打は銘付田型が1点確認」になっていて➉銘田型で20万円の評価です。でもこれはちょっとお気の毒、3点存在の右書き印刷局⑦は、偶然にも、縁有って結構私が関わっていて、現状では最終所有者に収めているのですが、大雑把な評価では綺麗な田型で300万円です。こちらは、テレビの鑑定に奥様がご出演、評価もほぼその数字だったと思います。この放映の際に、切手部門のプロデューサーさんは、右書の印刷局を出すか、「逆櫛印刷局」を出すかを迷ったと聞きました。鑑定者=疾風さんの値付けを逆読みして、取引実績が明瞭な物にしたそうです。私の好みとしては、このマテリアルは是非とも同じオークションで2点並べて売りたいのです。

他にも色々仕掛けられるので、オークショニアは楽しい時を過ごせそうです。まだ全く絵を書いてはいませんが。
この程、出品物として超一流のコレクションを一括で預かりました。1次昭和~1次円単位で、本体のボストークアルバムが約100冊です。フロアオークションレベルの物でも、1冊で100ロット、目勘定で1万アイテムを全てオークションで売却します。一応3年間位を考えています。知られていた名品は勿論ですが、何これ、物も有りました。80銭の盲人用点字・宛先最高・・でも切手大傷は、発表されていないのでは?






オークションでの売り立ては順不同ですが、記録に残すことに意味が有る物を、ここにピックアップして行きましょう。今回の2点に引き続き、逆抜け櫛型・無目打エラー・銘版が2つ・アーカイブ・みほん・盲人用点字・農産物種子・塔30銭・勅額10銭・27銭適正貼等々です。全ての分野が御強いわけでは無いのですが、ここに書いた10のテーマでは、見事に揃っていたのです。弊社のオークション誌も、8月のセールからオールカラーに致します。フロア2冊・メール1冊の体制です。編集も楽になるし、出品物の並びもきれいに仕上げられると思います。今日から8月のセールの編集に入ります。
高崎光吉さんの記事は完璧です。私が知りたい要素の全て網羅されていたのです。瀬戸口正(寸一路)氏は、大正14年5月生まれで1995年8月に逝去されています。商業デザイナーで、日本画家ですが、郵趣界的には肉筆FDCの瀬戸口版の版元として知られています。その業績は、私がくどくど書くよりは、前述の高崎さんのそれをお読み頂きたいのです。ここでは竜文のシートに絞って纏めてみたいと思います。肉筆シートは、当時お世話になった、深谷市の大谷二郎氏にお礼として贈呈されたもので、4種各1点限りの物です。瀬戸口氏から大谷氏へのこの期間の私信も多数公開されており、昭和37年から38年にかけて、数度にわたって渡された事実が読み取れます。大谷氏がご存命かどうかは分かりませんし、48文と100文は残念ですが行方は知れません。記事には、シート以外に200文Pos31の腕落ちの模写が、11.3㎝x11.3㎝で描かれた物が有る記されています。その現物は不明ですが、私の手元には同じタイミングで入手できた、100文2版のPos18の腕落ちの全く同じものが有るのです。左下に白抜きの「瀬」の落款が押されています。これの存在は高崎さんもご存じないかも知れません。今回のヤフーの出品では、この落款を見つけたから、私が瀬戸口のシートと信じて飛び込んだとも言えるのです。原寸でない、「お化けサイズ」なので、図案もかなり違うし、実寸の肉筆ほどのインパクトは有りません。因みに、シートの方は紙の厚みは200ミクロンで、本物の竜文の3~4倍の厚みです。筆書きの為にこの位の厚さが必要だったのでしょう。貰った大谷さんは、埼玉県深谷市の住人です。私が買ったのが埼玉県の古美術商、遺品?が流れて出たと考えれば、見事に辻褄が合うのです。ご存命中なら手放される可能性は皆無です。

大谷氏もそうですが、瀬戸口氏も手彫切手の収集家で、竜のカバーを収集されていたと聞きました。4種シートの模写は、手元に本物のシートを置いて為した物でなく、何らかの資料を使って描いたと思われます。細かい図案の相違が有るのはそのせいでしょう。写真を元にして写されたのかなと思います。因みに昭和37年なら、市田氏の英文のDRAGONが発刊されています。瀬戸口氏が、FDCを商業的に頒布されていたのは、昭和34年から46年4月20日までです。私的な物や、幻の3点制作の「笹の會版」などのお話は、他の方に譲って、視点を竜文の肉筆に絞りましょう。エポックメーキングな物が有るのです。花下遊楽・昭和37年の切手趣味週間です。連作で40通作られていて、48文の1版をPos1~Pos40に似せてカシェにしたものです。高崎さんのHPには30点近く載っています。知る人ぞ知る事実なので、欲しい人が沢山いると思います。同じ切手で、限定20部の名品も作られています。偶然ですが、弊社の今開催中の99回フロアセールのLot27、竜文4種をカシェにした肉筆カバーです。封の裏に鉛筆で各切手のポジションが書かれています。このカバーは全て1版のPos40です。風景社のFDC忍び草にも同じ物が載っていて、こちらは48文1-1、100文2-18腕落ち、200文1-31腕落ち、500文1-2中期印刷・襷リタッチです。

昭和37年頃が、瀬戸口氏とすれば、最も筆が立っていた時だったのでしょう。竜の4種の肉筆シートも、ぴったりとこの時期に当てはまるのです。縁あって入手できたこのシート、いずれはマーケットに出したいと思います。私の手元にある内に、ご希望の方にカラーコピーを差し上げます。200文と500文の肉筆シート、その他の参考品も添えてです。期日は2017年11月末までで、送料も含めて無料でお送りいたします。E-メールでお申し込みください。

竜のシートですが、少し前に「ヤフオク」の日本切手・手彫カテゴリーに出品されていたものです。竜500文40面シート+竜『300文』40面シートの版画=ご丁寧に、当時の物でない刷物の額装品です、の説明でした。出品者は、埼玉県の古美術屋さん、版画や本や絵葉書がメインで、評価は6000以上も有りました。この説明で、切手に関しては、ズブの素人さんだと分かります。幸い画像が鮮明だし、一部は拡大も出来たのです。遠目で見ても、Pos31 の腕落ちは見て取れます。刷りの印象は最初期色で彫線明瞭です。99.9%の人は、写真かコピーか、印刷物だと思うでしょう。2点で最低値が25000円なので、買気は起きない出品です。
直感で、コピーや写真で無いと思ったのです。説明に版画と書いているし、立派な額に入れての装飾品なのです。真剣に図案を見たのです。Pos36は肩点落ちだし、Pos19の剥げ竜、Pos2下七宝点落ちもOKです。プレーティングの助けになる、ホクロ・ヒゲ・スリット・余分な彫線、みんな完璧に合っています。この時点では、図案的には、本物と完全に一致するイミテーションと思いました。作り方は不明ですが。では、どうやって作ったかを考えるのです。本物を手元にしていなければ、イミテーションも作れません。だから本物の在り処を考えました。我々が日頃良く目にするのは、市田さんの竜切手のシート写真でしょう。これは、金井宏之さんのコレクションに入っています。豪華本の解説にも、腕落ちの完全シートはこれ1点となっています。念の為に調べた、手嶋さんのコレクションのそれは、大ブロックをベースにしたリコンストラクションでした。公表された資料では、現存1点と言っても良いのかなと思います。
今回の物と、金井コレクションのそれを比べてみたのです。エラーや顕著な特徴は合っています。でも、料額面と竜図案のバランスが一致しないのです。だから、コピーや写真では有り得ません。可能性を消去して、残った結論は、新発見の真正品、それを使って額装したと思ったのです。200文の腕落ちを含む最初期印刷と500文の中期印刷のシート、一見して極美です。膠で貼って有ったとしても、プロならば剥がすことも出来るでしょう。評価とすれば500万円かな。一瞬夢を見たのです。でも、一点違和感が有ったのが、500文の色が悪すぎる、見たことのない色合いでした。勿論こちらは、最初期でなく、Pos2-3 の点・タスキ落ちはリタッチされています。Pos14とPos29の火焔落ちや、ホクロとヒゲは完璧です。念の為と思って、拡大コピーを1ミリ刻みで合わせていきました。普段のプレーティングでやる手法でやったのです。雷紋が一致しないのです。印刷時期によっては、インキの加減で、多少の誤差は出るのですが、2点の試料で比べれば、同一の位置とは言えないと判断せざるを得ないのです。真正品の新発見の可能性は消えました。ならば、これは何だろうかを考えるのです。真正品でないし、それを光学的に写した物でもない、おもちゃとすれば、ポイントになる細かい箇所が一致し過ぎている。私が持っている情報で、考えられる可能性は一つある。「瀬戸口寸一路」=本名正、長岡市在住の日本画家、肉筆の瀬戸口版FDCの版元の芸術作だろうと思ったのです。噂で聞いていた、肉筆の竜文シートだと確信を持ちました。本物よりは安いでしょうが、是非とも手に取って調べたいと思ったのです。
手元に来た2点のシートの裏に鉛筆書きが有りました。200文には壬寅初冬=昭和37年冬、500文には昭和38年新春、「瀬戸口正」の文字がうっすらと書かれています。検索で、「肉筆S版」で叩いて見てください。高崎光吉さんの立派な記事が読めるのです。それを読み解けば、今回のシートの素性が分かります。現存一点、お世話になった方への謝礼で書いた、竜文4種完シートの一部です。キーワードは「埼玉県」このアナライズは次の機会といたします。
以前から噂で聞いていたもので、是非見たいと願っていました。
縁有ってやっと手元に届きました。

詳細な解説は後日書きましょう。
進行形の情報を幾つか纏めて提供いたします。NHK BSの番組、「戦後72年目の郵便配達」の再放送が決定しました。9月11日(月)PM8時からのゴールデンタイムの一時間です。主役は善人づらのお坊さん、前回見逃した方は是非ご覧ください。
渡辺版の川瀬巴水カシェFDC,吉野熊野の偽造品の続報です。一杯あるようです。北園寿之、松田伸裕、今関顕之各氏から情報を頂きました。図版の物は全て偽物、カシェが切抜の後貼りなので間違う心配は有りません。注目したいのが、10円抜きの3種貼です。カシェに風景印がタイしています。これが偽消でなければ、発行当時に作っていたことになるのです。実態は未だ霧の中、何時か解明できるでしょうか。

JAPEXセールの編集が佳境に入って来ています。あと半分なので完全に目途は付いています。郵便史関係で良い物が沢山集まりました。楠公葉書を3点、お見せいたしましょう。買わない理由が見つからない素晴らしい物でしょう。このレベルが100点位は並ぶことになるのです。

2月の弊社のオークションを長時間取材されていたNHKの番組ですが、その後のスタンプショー広島、アメリカでの取材、キーになる人物へのインタビューを済ませ放送のスケジュールが決まりました。明日8月6日の午後10時からの50分の番組、BS1 101チャンネルです。流石にNHKなので、お金の使い方が違い、厚みのある番組に仕上がっています。
戦後72年の郵便配達、オークションの風景がイントロで使われているはずです。顔見知りの人も登場するかも知れません。BSを視聴できる方は是非ご覧になってください。
多くの方から的確な情報を頂き、1873年の米日コンビネーションカバー=ニューヘーブン・八鹿カバーは、完全に素性が解明出来ました。差出人は1871年に明治政府の国策でエール大学に留学していた朝来の軍人さん、但馬百科事典に詳しく出ています。トランス・アトランティックは、予想通りジャーマンシップのHANSA号、ブレーメンに到着した日付けまで確定できました。オークションの記事は簡潔に、見えることしか書きませんが、買ってくれた人がリーフを作るには、見えない要素も示さねばなりません。このケースでは、イタリア以前の中継印がない事とPAID ALLの表示がないことがそれに当たります。結論は、当時のアメリカ大陸横断鉄道の社会的な状況と、米日郵便条約締結の日付け、それをUS-ターキー郵便条約のそれと絡めて書くのです。郵便史のリーフとは、かくあるべしを、アイホン君が滔滔と語ってくれました。日本語のテキストは、概ね書けているのですが、私のビジネスとすれば英語のそれを書いて、ピンポイントでテキサスに送る必要が有るのです。やりがいを感じられる仕事です。それだけの価値のあるカバーなのですから。ご協力頂いた方々のご芳名は、後日きっちりと報告させて頂きます。
全日展のパンフレットでお約束した、初出し品の1000点+の商品は、期日通りに抜き出して担当者に回しました。私はスケジュール的に上京は難しいのですが、物は問題なくお見せできるようになっています。会場を走って来ていただかなくても大丈夫だと思うのですが・・・。
先週の土曜日には、お茶の水の古書会館で七夕古書大市の下見と入札をして来ました。気になる物が20点位あったのですが、ビッドは8点で、6勝2敗、買えた物以上に買わなかった物の結果に吃驚。以前からよく言われる、七夕市は買うとこじゃなく売るとこだよ、は蓋し名言、ロットの全てが最低値10万円以上なのですが、手彫桜切手45点と書いてあるものが、全部が封皮の印面カットとか、ヤフーよりも危険な物が有りました。この場所に行くのは、荒魂書店の故稲山雄二さんに誘われて、棟方志功の直筆のロットを買って以来です。10数年たっているのです。久しぶりにカタログを送って貰って、パラパラ見ていたら、気になる物が有りました。昭和21年~25年の郵趣家宛の葉書が8000通、最低値は30万、写真で見ても、小型シートの切抜とか、京寸の葉書通信とかが目に飛び込んできます。実際は8000通は無いと思いますが、見返り単貼の封書で24年3月消は確かに入っていたのです。ここらは、カタログを見た人は同じことを考えます。漏れ聞くところ、切手系のロットでは一番人気だったとか、一日潰しての出張なので、負けるのは余りにしゃく、結構いい値段だったとは思いますが、兎も角物は手元に来ています。サイトウ・ヒロミさん?の上で買ったのかな?私の仕事とすれば、買った時点で終わりです。あとは何時もの通りの、然るべき流れに乗せて、JAPEXでの@300円~1000円位の即売でお見せできるように手配を済ませました。8月のセールの入稿日は28日Fixなので、残り時間とやるべき仕事を逆算せねばなりません。いつもよりも良いペースなので、PA98・MA86で5000ロット位にはなるでしょう。密度の濃いセールにしたいと思います。後しばらくは、編集に専念いたします。
NEW HAVEN→八鹿カバーで有力な情報を頂きました。奈良県の戸上拓也氏とドイツのFLORIAN EICHHORN氏からです。U.S. International Postal Rates, 1872-1996、Anthony S. Wawrukiewicz & Henry W. Beecher 共著の、アメリカの外国宛の料金表です。その34ページに私の知りたいデータが出ています。日本宛の1871-1875年の料金です。

早速本題に入りますが、該当のカバーで問題になるのは、料金表の、「a American Packet via San Francisco =10C」。これに対応する日本発料金は、日本の米国横浜局→アメリカも10銭です。為替レートは$ vs yenが、1:1なのでキッチリ合っています。差出人が貼ったアメリカ切手の15Cは、サンフランシスコ便なら、完納というより過貼りですが、NY局でshort paid 5Cの印と書き込みが有るので、SF便の料金では受け付けられないとして、トータルの料金として20C を要求されています。未納郵便物はこの時代では受け付けられないので、差出人に戻されています。SF便は駄目よの理由は推測ですが、1873年9月なら、アメリカ大陸横断鉄道は開通しているのものの、定期的には運行されていなかったのかも知れません。3年後の1876年6月4日の超特急でNY→SFで、83時間39分が画期的な記録との記事が出ています。1873年頃の日本宛の郵便物で、アメリカの東海岸差出のサンフランシスコ便の実例が有るのでしょうか。低料金のこのルートが無理なら、ニューヨークからの日本宛は、大西洋を越えてのBrindisi経由便にならざるを得ません。この場合の料金は、「f German direct mail via Brindisi=20C」になります。NY→ハンブルグかブレーメン→Brindisiでしょう。もう一つが「i German closed mail via England and Brindisi=21C」です。closed mailとは、閉嚢便で、経由地のイギリス・リバプールとドイツのケルンでは開嚢されずに、Brindisiで載せかえる時に開いて中継印を押すということでしょうか。iの方がより早く着くのですが、料金が1C高くなります。この違いは、日本の外郵開始後のドイツ宛のルート違いの料金違いに引き継がれています。「cの英国船のサザンプトン経由は28C、dの英国船のブリンディシ経由は34C」なので、対象からは除外できます。
NEW HAVEN→八鹿カバーは、21Cで完納です。それでも、i のドイツ船のイギリス経由とは断定は出来ません。fの直接Brindisiも可能性として残ります。両ルート共に、Brindisiは確実に通るのですが、その前の◎ALA VERONAの鉄郵が曲者です。ALAは、AMBULANTEでイタリア鉄道の基地局です。TRIENT=TRENTOに接続しています。ここに繋がるドイツからのルートが、ハンブルグ・ブレーメンか、ケルンかが判れば、謎が解けるのです。もう一つの考え方とすれば、1873年10月1日か2日の、ニューヨーク発ドイツ宛の船が特定できればいいのです。行き先で20Cルートか、21Cのそれかが判ります。アイホン君が頑張ってくれるでしょう。私の拙い知識で判断すれば、fの開嚢便なら、ドイツの到着地=ハンブルグかブレーメンで中継印を押すのでしょうが、このカバーにはそれが無い、ゆえに、i の閉嚢便での、イタリア中継印押しと思えるのです。15C+不足5C の書き込みは気になりますが、トータル21C ならぴったり、合いなのです。
現時点で判っているこのカバーのステータスを書いてみましょうか。幾つかの文献を読んでのデータです。①日本人が海外から差し出した日本宛の郵便物の最古のマテリアルである。②Care of YOKOHAMA Post Officeの表示から判断して、駅逓寮が借り上げた、イギリスの横浜局の「私書箱」扱いと思われるが、その制度の最初期で有り、唯一の完全品であり、かつ日本人宛はユニークである。③インカミングメールの日本人宛としても最初期と思われる。インカミングは、お雇い外国人宛や、外国商社宛が圧倒的であり、日本人宛は随分と時代が下がってしまうと思われる。④アメリカ発日本宛での大西洋経由・ブリンディッシ経由便の最初期である。まだまだ幾つでも見つかるのですが、それはこの辺りで止めておきましょう。オークショニアはマテリアルを見てわかる要素以外は書かない方が良いのです。買ってくれる人の方が知識は上なのですから。
既に書いた記事に於いて、ブリンデッシ→横浜のルートと船名は解明済みですが、国内の逓送ルートも、近辻喜一氏に伺って、横浜→西京は、東京を経ずに、陸路で3日と判っています。4銭貼りも、料金の内外での刻み違いで納得できます。残る問題は、差出人が誰かです。アメリカ切手の下に、「米国・・・」の文字が読めるし、筆跡から日本人に違いないと思います。切手を剥がして調べることは無理でしょうから、ここらは、受取人の但馬国の北邑・・の名前からの関連を、但馬国に超詳しい「キタムラ先生」に聞いてみたいと思います。
日本人が海外に国策で渡航したのは、岩倉使節団が最初でしょう。その次の年の同じ船でアメリカへ渡った人物宛に差し出された手紙=海外郵便手続=二重封筒の内封筒が、何故か私の手元に有るのです。この時代の海外への渡航者の名簿は、パァッセンジャ―リストで拾えるので、割と簡単に身元が分かります。ここらも含めて近日中に論じてみようと思います。
懸案が一つ解決しました。8月のフロアセールへの出品物として、U小判1銭と、新小判5厘・4銭の大ブロックの未使用を受け取りました。同時に菊2銭のカラーコピーも貰いました。結論は、オークションハウス=Robert A. Siegelが、 画像をスキャンする際に、4色のカラーの設定でなく、モノクロ単色でやったのです。だから、「菊2銭・黒印刷」が一瞬世に現れたのです。

因みに、このロットに入札した日本人3人=1番・2番・3番札は、皆私の情報網に掛かる人たちです。「黒印刷」で飛び込んだ人はいず、落ちた値段も大人しく、極美の小判を売れば菊は完全にタダになるハンマープライスだったのです。私は自分でやる気はさらさらなく、もしそうならばで、絵を描いて楽しませてもらいました。
もう一件の懸案も前途に光が見えてます。お二人から、1870年代のアメリカ→日本の料金表を貰いました。表面上の疑問は解決、但し完璧なテキストを書くには、1873年10月1日(或は2日)のニューヨーク出航船のシッピングリストが要るのです。多分、ドイツ船籍の商船だと思います。想像を交えてのアナライズは近日中にやりましょう。8月のセールのラストロットなので、7月20日位に記事を入稿いたします。まだまだ時間はたっぷりありますから。