2005年10月6日(木)

「逓信博物館所蔵品」
プラハの乃木の記事を書くにあたっての資料収集をしてましたが、既に手に入ったもの以外は差し当たり出て来そうに有りません。「稲刈り1銭」は日専の広告にも使っており、11月のセールのラストロットで売りたてます。そのタイミングを考えて第1弾のレポート以後に判明したことを数回で纏めます。
児玉氏の本に引用された、切手趣味70巻4号のおまけ頁の乃木2銭「無目打」小型シートの素性が気になってました。プラハのものとは、似て非なるもの。でもこの現物は確かに逓博に所蔵されており、当局の意図によって作られたものでしょう。
児玉氏が尽力してくれて、逓博の担当者から、関係しそうな所蔵品の写真を貰ってくれました。14枚、地下かどこかは判りませんが、今現在の所蔵されてる状態そのまま?の物も含めたパネルに貼られたモノクロ写真をFAXしてくれたものです。
逓博の特別展示は目的や規模の大小の違いは有っても何度も行われています。1991年のPHILANIPPONの後に「ていぱーく」でなされた「秘蔵切手資料展」は郵趣1992年2月号にレポートが載っております。今回のFAXの資料は、恐らくはさらにそのあとの2回の展示会?に出された様なパネル状態のものです。「日本切手の20世紀(1)(2)(4)」、「サマーペック特別展示・世紀を超えた秘宝展」の標題がついています。
その品目は有名な、不発行4完シート、震災切手20面シート、貯金切手実用版試刷・・・・・・。ただこれらは今回のテーマから外れるので詳しくは触れません。注目したいのが、2件の資料に共通して入っている、1次昭和19種・2次昭和10種と思われる、小型シートなのです。ご覧の通りの、ボケボケですので推測するしか術はないのですが、「・・秘宝展」と「・・20世紀」に使われたマテリアルは共通、「秘宝展」にはコンパクトに無目打小型シートだけを並べて、現在は「20世紀」の場所に、一部は原画写真的なものと並べて、元に戻して保管されているのではないでしょうか。
1次昭和は発行された19種完、2次昭和は昭和19年1月8日発行の3種(20銭・30銭・40銭凸)までの10種、見事に時系列に並びます。現物を見てませんし、「サマーペックス・・」で当然見たであろう人に聞いても、決定的な答えは得られませんでした。ただ、このデータを積み重ねれば、当時の逓信省か印刷局の意志として、少なくとも我々が「昭和切手」と呼ぶものに対して、実用版=100面にする以前の、印刷原版を用いて、最終の段階で、発行する切手と同じ刷色で印刷したプルーフを少数作り、保管していたと考えています。写真で見る限り、無目打で、恐らくは透かし無しの上質紙で糊は引かれてないような気がします。
この推論が当たっているならば、用いられた原版は、窓口から売られた切手の版式のうちの最初に発売されたものと同じ、1昭で平台とゲーベルが存在する、5額面の内、2・3・4銭はゲーベル、5厘と1銭は平台の原版が用いられたと考えられます。

ここで、「プラハの乃木」に入るのですが、1昭5額面の版式は当然のように最初の版式=乃木・東郷はゲーベル、朱印船・稲刈りは平台、(春日大社はゲーベルのみ)と思っていたのです。売った私も、買ってくれた「Mr.乃木」と「GOLD 昭和」氏も。
この続きは次回です。

世紀を超えた秘宝展(3.88MB)