2007年1月31日(水)

「現存枚数」
今回のフロアオークションPA47の最終ロットは
4377 ☆ 旧小判20銭11L NG 郵趣連合鑑定書付 最低値 300000
これしか書きようがないのです。最低値に関しては、ひとそれぞれの考え方もあるし、幾らが正解かという答えは見出せません。ただ、出品記事に関してはこれ以外に追加も削除も出来ません。そして、今回の出品物に関しては問題も起こりようもないのです。値段はあくまで結果ですし。ただ、人によっては、「現存2枚」と書かねば、人でなしと罵って、電話で烈火のごとく怒って来る人もいるのです。この品物の現存(或いは世間的な発表)数は2なのか、或いはどれだけ超えるかは私は知りませんし、その定量数には何の関心も有りません。オークションの記事は、ひとえに目に見える事実だけを正確に書けば良く、存在数を定量表現するのが、知識の証明にはなりません。それをやるべきなのは、実名で書く記事か、展示することが前提のコレクションの説明に限られるのです。間違えればご本人が恥をかくだけなので必死になって調べるでしょう。オークションへの出品記事に書いて来て、信じてくれれば、ラッキー、間違えればオークショ二アのせいみたいな輩も少なからずいるですが、出来ればお付き合いしたくない性格の持ち主です。
実は、直近で和桜20銭縞を踵を接するようなタイミングで2枚、プライベートの取引をまとめました。1枚は香港のオークションのもの、遡ればウッドワード、もう1枚もデータは発表されていたもので、新発見品では有りません。この機会に20銭縞のデータをどれだけ追いかけられるかやってみたのです。かなりの確度で、現所有者まで分かっていますが、それを勝手に書くことは出来ません。また、殆どは、著名文献や作品集、オークションカタログにカラーで出ていますが画像も勝手には使えません。
画像を得られるものを並べても、不統一が秋田調①、記番がマ1号①、マ23号②、キ1号=再接縦ペア、KG久保田②、N1B1東京が再接横ペア、単片③、N1B1/K越前敦賀が⑥、これ以外に記事が書かれていて、存在は確かだし、データもN1B1/K越前敦賀7・11・8と知れているのがスミソニアンにある。だから単純枚数ベースでは20枚、ペアという言葉の表現は微妙だけれど、世間的に確実に認知されているのは、東西の博物館に有るであろう2組です。 何とか、それ以外のものを探そうと文献を漁っていたのです。三井文庫・手彫切手、山本謹一さんの記事が目に付きました。三井文庫の所蔵品は4枚、キ1号再接縦ペアとN1B1東京 不鮮明は、コレクション集に出ています。もう1枚が、常設展示に入っているとのこと。かつて見たはずだけど、データは覚えてません。でも、上に書いたものとは明らかに別物、だからプラス1、同じ本に有った総説の記述には、ペア(再接)が3組存在と有るのです。市田さんの桜では2組、もう1組の存在は?
幾つか可能性が浮かびます。91年国際展の4社合同セールの表紙、ペア=再接かは微妙だけれど、ポジション的には繋がります。ただ、三井文庫の本が出たのは、90年の春、このタイミングでは、4社合同の上切手は、まだ日本には来てません。GOLDSMITHがSCHWANKE & SOHNに出品して、ペアになるから、くっつけようよと私が山崎くんに声を掛けたのは、90年秋だったような気がします。それ以前に、山謹さんに情報は入ってないはずですし。もう一点も山謹さんがらみです。敦賀の7・11・6もPos3とPos11で繋がるのです。オランダのオークションに出ていて、買う前からくっつきそうな雰囲気は有りました。でも、プレーティングは出来てません。落として、写真と合わせても、微妙にズレが出る。プレティングすれば、11が上で、3が下、多分同時使用だけれど、ペアと呼ぶのは無理なのです。この件は山謹さんはご存知のはずですが、ペアの評価を与えないでしょう。
話をしていて、識者から、もう一つのデータを貰いました。スタンプコレクターに記事が有る。そこに山謹さんが書いていて、小島勇之助「談」として、ウッドワードのマ23号(状態悪い=Ex.Dr.市田)にくっつくものが有る。極美のマ23号はかつては小島さんの所有物、だから、隠れしペアになるもう1点はこのことなのでしょうか。もしこの超伝聞情報を認めても21。オークション誌の記事には枚数は書きません。切手展の展示作品や手彫の専門文献には果たしてどういう表現をするのでしょうか。ぼかして、約20かな?
手彫の場合、特に、20銭縞レベルなら、かなりの追いかけは出来るのです。でも、逆に言えばもっと時代が新しいものや、専門的に関心を持っている人が限られている分野で、現存何点と話題にする人の感性には、ちょっと付いて行けない気がします。オークションの出品記事でなく切手展の作品での記述でも。